2009年7月6日月曜日

何故今、地方の反乱か

 明治維新以降、我国は「殖産興業」「富国強兵」を国是として先進国へのキャッチアップに邁進してきた。目指すべき目標が鮮明な限り少数の優秀なエリートによる集中管理が効率的な結果を齎すのは明らかで中央集権は必然であり、殖産興業が国是であれば『供給側=企業偏重』の『国のかたち』は当然であった。こうした国のかたちは敗戦処理にも有効に機能し驚異的な戦後復興を果たすことができた。

 しかしキャッチアップの果たされた今、国による種々の介入は資源配分に歪みを与え企業の自由な市場活動を阻害する悪い効果のほうが大きくなっている。むしろ『需要側=家計=市民サイド』への配分に国や行政の重点が移行しなければならないのに政治はそれに気づいていない。国のかたちを旧来の供給(企業)側育成のままに放置して、必要でなくなった予算や特別会計、補助金に税の配分を継続していたのでは国全体としての効率が低下し国民に不満が充満するは当然である。供給(企業)側偏重の国家のあり様は歴史的任務を終えたことを認識する必要がある。

 市民の要求に応えるためには国よりも身近な地方行政組織の方が効率的であることは明らかである。待機児童の多い保育施設の開設一つをとっても都市と地方で事情が異なるにもかかわらず全国一律の基準を押し通そうとするところに無理がある。活動領域が国全体、いや世界に及ぶ企業を国や行政の主たる管轄対象とする時代から市民のニーズに対象が大きく移行した現在、国や行政のかたちは変化しなければならないし国と地方の役割分担に根本的な変更が加えられるのも時代の要請である。その結果予算配分が国と地方で逆転するのも趨勢であるにもかかわらず官僚や役人、そして政治家もこの変化に気づいていないし受入れようとしない。

 消費税の増税を当然のように国の設計が行われようとしている。しかし企業偏重から市民重視に国のかたちを変更すれば事情は全く異なってくる。国と地方のあり方にも大転換が必要になる。地方の反乱は市民の反乱のでもあることに気づいた政治家が現れるまでこの国の混乱はつづくであろう。