2010年1月26日火曜日

年金生活者の友人関係

おかしなタイトルだが「老後の友人」というのもシックリこないのでこのまま書くことにする。
 実はこんなことがあった。
 近くの喫茶店で昵懇に願っていたNさんがとんと来なくなってしまった。正月も明けて二週間になるのにまだ一度も顔を見せないとY子(喫茶店Bのママ)さんは心配顔だ。元々は偉丈夫だったらしいがここ5年ほどの間に開腹手術を3回もやったせいで今では白皙痩躯の仙人然としている。そんなNさんと私が親しくなったのは彼の奥さんの伯父さんが以前私が勤めていた広告会社の社長だったことが知れたからで、加えて彼の博識と年齢を感じさせない新鮮で大胆な感覚に私が敬服していることも関係しているかもしれない。事情があって奥さんは両親の看病で東京へ行ったきりで独り暮らしをしている。

 Nさんは相当な大物だ。K大の農学部出身で行政の相当なところまでいったにもかかわらず浪人し、外国生活をへて農業関係の研究所を主宰、各地の行政と連携活動をしていたようだ。今でも時々講演で東京へ行ったりしているがいかにも「悠々自適」がふさわしい立ち居振る舞いで喫茶店でも異彩を放っている。
  
 数日してNさんが顔を出したとY子さんが嬉しそうに報告してくれた。食事を受け付けないので何も食わずに寝ていたのだという。何故病院へ行かなかったのかとY子さんが訊ねると、点滴して延命するしか能のないような医者なんぞと強がっていたという。いかにもNさんらしい。

 この喫茶店以外にも新しくできた友人が何人もいる。名前以外に互いに立ち入った詮索をしないから友人と呼べるかどうかも怪しい繋がりだが私は大事にしている。しかし今度のNさんのようなことがあると心が痛む。考えてみれば70歳を超えた人が多いし、中には85歳という人もいるから当然私は彼らとの別れを迎えることが多くなるだろう。別れは辛い。それが煩わしければ出会いをつくらなければいいのだが私にはそれはできそうにない。これまでの友人―幼友達や学校時代の友人、職場での交友関係まででもういいと、人と打ち解けることを拒否する生き方もあろうが、それでは寂しい。

 気の合う人と気楽に楽しく交わりながら健康で長生きがしたい。



2010年1月18日月曜日

神が作り給うた物

 ヨーロッパに招待されたサモアの大酋長が島に帰って「ヨーロッパ文明は何であったか」を島民に次ぎのように報告した。「物にはふたつあって、自動車やテレビなどは人間の作ったものだが、もう一つ『神の作り給うた物』というのがあって、それは美しい星空やきれいな砂浜、おいしい魚などだ。そういう物は我々の方がはるかに豊かで、自分たちの文明が物に関して貧しい文明だとは思っていない」(『パパラギ―はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』より)。

世界第二の経済大国、という我国のブランドがついに中国に破られてしまうという表現がこのところメディアに度々あらわれる。更に少子高齢化によって労働力人口が2005年の6,772万人をピークに2025年には6,296万人にまで減少するからこのまま放っておくと日本は世界の中流国に成り下ってしまう、などという論調も少なくない。一方で先ごろ開かれた環境問題を話し合う「COP15国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議)」では世界の国々が自国の豊かさへのエゴを剥き出しに主張しあう醜態を曝していた。
 ツイアビさんが見たら何と言うだろうか。

200810月のリーマンブラザースの破綻に端を発した金融危機に象徴されるように我々は今『人間の作った物』に執着しすぎている。勝ち組負け組などという厭な言葉も片方からの価値判断で多様な人間の存在を切り捨ててしまう偏狭な表現だ。負けてもいいとは云わないが、50年前の我国のレベルにようやく達した中国や印度に対してもう少し鷹揚に対する姿勢が指導者やメディアに望めないものか。そしてやがて彼らも辿るに違いない『成熟期』の国のあり方の新たな方向性を示す革新的な世界観を呈示するようなリーダーが現れないものか。

世界中から出店されていたブランドの退却が続いているという。日本人も少しは賢明になった証だろうが、もう少し深く考えてGDPというもの差しも『一方からの偏った価値判断』の指標に過ぎないことに気づけばもっと社会の在り様が変わってくるに違いない。



2010年1月12日火曜日

ちょっと得した話

 大阪環状線のとある駅近くの中華料理店を贔屓にしている。中国人のオーナーの流儀なのだろう、オーダーが通ってから料理を始めるので配膳までに時間を要するのがイラチの大阪人にはつらいところだが、本格中華の味がそれを補って余りあるので結構繁盛している。お昼の定食が740円というのもちょっと高めだがオーナーは主張を曲げないでいた。

 
昨年10月に一軒挟んだ隣に今評判の中華チェーン店が出店してきたことから状況が変わってきた。麺類を含めた一品料理のどれかを半額以下で、更にもう一品も値下げした月変わりのサービスメニューを提供するようになったのだ(生ビール水曜日中ジョッキ200円もついている)。女将さんは相当心配していたのでどんな手を打ち出してくるか楽しみにしていたのだが随分思い切ったものだ。さてチェーン店が開店してみると意外にも客足は衰えるどころか以前より5割方客数が増え、昼食時は一、二階満席になってしまうことも少なくない繁盛振りになった。この勢いは3ヶ月立った今も変わりはない。考えてみれば広くはないがビジネス街で乗降客もソコソコあるこの駅周辺に中華料理店(ラーメン店ではなく)が一軒しかなかった事がおかしいので、そのため競争がなかったが、そこへライバル店ができて変化が起った。その結果客にも店にも利益があったのだから競争はやっぱり必要なのだ。

 
20年間日本経済はほとんど成長していない(1992年と2009年の名目GDPは共に約480兆円である)。実質GDP466兆円から526.7兆円になっているからざっと13%も物価が下がったことになる。この長期のデフレは需要不足の状態が20年間解消されずにきたことを意味し簡単に言えば多くの産業で過剰供給体制が放置されたまま新陳代謝が進められてこなかった結果といえる。成長期を終えた産業から新規産業への資源の移転が円滑に行われなかった原因は規制緩和中途半端で民間の活力が十分に生かされなかった影響が最も大きい。要するに規制によって自由な競争が阻害されてきたせいである。

 500
円タクシーがなくなるという、一体誰が得をするのだろう。