2010年11月29日月曜日

同窓会

 先日のこと。「この前、同窓会があってなぁ。出席者たった8人や。そろそろ止めなあかんなぁ」。声の主を見ると御年86歳の最長老。そりゃあなた、できすぎですよ。

 池上彰さんの解説で評判の良かったNHK総合日曜朝放送の「週間こどもニュース」が12月19日をもって終了し、新たに「ニュース 深読み」という解説番組をスタートさせるらしい。こどもニュースといいながら実際の視聴者が圧倒的に高齢者が多いことが理由だという。
 これはおかしい。このあたりのNHK的センスが完全に視聴者目線と懸け離れていることにいまだにNHKは気づいていない。
 
 この番組は、小学生高学年から中学生を対象に、1週間におきた出来事などをお父さん役を務めるNHK解説委員が家族に分かりやすく説明するという設定で1994年4月から放送されていた。それがいつの間にか高齢者ばかりでなく大人にもよく見られるようになったのは、何といっても分かりやすいことが第一だが、それ以外にも原因はある。子ども相手だから普通のニュース番組では説明が加えられない、言ってみれば「大人にとっての常識」とされているような事柄でも、疑問に答えるという形で子どもに教える内容がありがたかったことある。子どもってこんなことに疑問を感じたり興味を持つのかという発見もあった。子どもや孫と一緒に先生に教えられているような感覚を心地良く感じていた人もあったに違いない。だから、ニュースが分かりたくって番組を見ていたわけではないのだ。ニュースを知らなくても生きていくのに不自由はしない。でも子ども番組だから子どもや孫と一緒に見てみよう、知らないこともそっと勉強してみよう。子どもがいなくても他人の目がないから安心して初歩的な内容を知ることもできたのだ。
 それを正面切って「大人向きの分かりやすいニュース解説番組です」ともちだされて果たしていい大人が見るだろうか。何といっても、一段見下ろされているようで自尊心が傷つけられるのではないか。「ニュース 深読み」でなく「視聴者 深読み」をしないで、高齢者が楽しみにしている数少ない番組を奪ってしまうNHK的センスにはホトホト困ったものだ。
 
 一方「雇用促進税制」を創設し、雇用を増やした企業に対する法人税の税額控除導入を検討している官僚センスも困ったものだが、これについては稿を改めて述べてみたい。

2010年11月22日月曜日

デモクラシーとは何か

 20世紀末デモクラシーな国々は65ヶ国を数えることができたが、その内訳は、最も民主的な国が35ヶ国、かなり民主的な国が7ヶ国、ギリギリ民主的な国が23ヶ国となっており、「デモクラシーの勝利」はかなり不完全なものでしかないということになる。
 中国の人々は4000年の歴史のなかで一度も民主的政体の経験をしたことはなかった。ロシアにおいても20世紀の最後の10年になってやっと民主的な政治への移行が実現した。

 以上はR.A.ダール著「デモクラシーとは何か(中村孝文訳・岩波書店)」からの抜粋である。更に続けたい。(原文ではポリアキー型デモクラシーとなっているところを「民主主義」と置き換えている)。

 歴史が繰り返し伝えていることは、国家もその他の集団も民主的な手続きの基準に完全に合致する政府を持つことは一度もなかったということである。また、これからもありそうにない。
 二大政党制は選択肢を二つに単純化する。(略)マイノリティーの代表を否定するため全面的に公正とは言えない。
 民主主義は資本主義市場経済が支配的な国々でのみ存続してきた。そして反対に非市場経済が優勢な国では決して存続してこなかった。
 資本主義市場経済のある基本的な特徴は民主的な制度にとって好都合である。反対に非市場経済が優勢である場合には、その基本的な特徴のいくつかがデモクラシーの発展を阻害するのである。
 資本主義市場経済は不可避的に経済的不平等を生み出す。そしてそれは、政治的資源の配分の不平等をもたらす。その結果、デモクラシーに潜在的に秘められている民主主義を実現する可能性は制限されてしまうことになる。
 近代化の遅れた国々の権威主義的政府が、活発な市場経済の導入にのりだすとき、その政府は最終的に自らの破滅につながる種をまいているようなものである。
 民主的な国々で今、緊急に必要となってきていることは、市民が政治の世界に関与できるように知的能力を向上させることである。

 最後に英国政治家ウイリアム・ビットの警告を記す。「無制限の政治権力は、その権力の所有者の心を腐敗させる。」

2010年11月15日月曜日

政治権力は腐敗する

 尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件の報道に接して「CSR(企業の社会的責任)」と「コンプライアンス(法令遵守)」という企業の内部統制システムを思った。そして内部告発に関する「公益通報者保護法」というセーフティーネットも整備されている企業に対して全く法整備が整わない我国の現状で「シビリアンコントロール(文民統制)」が担保されているのであろうかという不安を感じた。

 高度成長期のなかで企業は利益を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任を持たなければならないという自覚をするようになった。しかし残念なことに企業イメージの向上を図るPR活動(寄付やメセナなど)に注力され、社会や企業利害関係者への説明責任を適切に果たすことによって持続的成長を実現するという内部統制本来の目的が見失われることが多かった。その結果企業信用を失墜する反社会的行動が多発した。そこで食品偽装、サービス残業、偽装請負、公共工事の入札談合など無批判な企業論理による社会規範を蹂躙する事態を正常化するためにコンプライアンスが重視されるようになり、更に内部告発者の身分を保証する「公益通報者保護法」が2006年4月に施工された。

 このように企業活動については社会的公正を実現するための内部統制システムやセーフティーネットが整備されたが公共部門での取組みは未だ殆んど手付かずである。税金の無駄遣いの責任所在、天下りの弊害、省益等の既得権など公共部門の不正、非効率が一向に改善されないのは内部統制システムと公益を維持するための内部告発者を保護するセーフティーネットが整備されていないからである。従って今回の尖閣ビデオを流失させた海上保安官の身分を保証するセーフティーネットは無いしそもそも公益を保護する内部告発に相当するかも定かではない。

 シビリアンコントロールは軍部の暴走を阻止するためのシステムであり文民の政治家が軍隊を統制するという政軍関係における基本方針のはずだが、今回の事件は文民政治家の暴走もありうる危険性を図らずも垣間見せた。「政治権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する。」というイギリスのアクトン卿の言葉が生々しく感じられる昨今の世界情勢である。

2010年11月8日月曜日

仇討ち禁止令

 明治6年(1873年)復讐禁止令が公布され敵討ちが禁止されたが全面的な禁止ではなかった。その後明治13年(1880年)の旧刑法制定に至って復讐の完全禁止が実現された。
 平成7年(1995年)刑法改正によって「尊属殺人」の規定が廃止された。殺人罪の特別類型として「犯人自身又はその生存配偶者の直系尊属を殺した場合を、死刑又は無期懲役という特段に重い刑で処罰していた」が、法の下の平等という近代憲法原則に照らせば尊属の生命をそれ以外の人の生命より価値の高いものとする規定の違憲性は明らかで、昭和48年(1973年)最高裁大法廷が違憲とした判例を立法化したものである。

 人類は長い歴史の教訓として『暴力の抑制』という『理性』を学んだ。暴力の極限である殺人でありながら復讐は長い期間許容されていたが『暴力の連鎖』を招くとして禁止され、最後まで正当化されていた尊属殺人さえも排除されて今日を迎えている。ところが昨今我国では『被害者感情』という『理性の対極』に阿(おもね)って『極刑』を当然視する考えが勢いづいている。又その一方で「裁判員制度」の導入に伴う裁判員の「死刑判決忌避」に関しては同情的である。
 人間生命についてのこうした視座の定まらない風潮に極めて危うさを感じる。

 我々は極度に分業化された今の生活を当然のこととして受け入れているが、元々は、或いは原理的には全てを我々自身の責任で行っていたものを長い時間の経過を経て各分野の専門家に代理人として依託するに至っているのである。従って「死刑を宣告し死刑台の執行ボタンをおす」のは今でも我々自身であるということを知らなければならない。それを忘れて、他人事として自分と切り離して社会の仕組みを見ているから、死刑制度を容認しながら裁判員となって死刑判決を行うことを『別もの』と捉えてしまう矛盾に気づかないでいることになる。昨今の『厳罰化の風潮』も元を糺せばこうした『無知』による『畏れのなさ』に起因しているのではなかろうか。

 人類は国家権力による殺人である戦争を未だにコントロールできずにいるが、歴史を冷静に観察してみれば近代の代表制民主々義諸国は相互に戦争することが無いという事実に気づくはずである。

2010年11月1日月曜日

野ざらし

 野ざらしを 心に 風のしむ身哉
 道に行き倒れて白骨を野辺にさらしてもと覚悟をきめて、旅立とうとすると、ひとしお秋風が身にしみることよ―という松尾芭蕉「野ざらし紀行」の冒頭の句である。知人のNさんが急死したという警察からの突然の知らせに接したとき何故かこの句を思い出した。

 二月ほど前、Nさんは脇腹を骨折した。その数日後風邪をひいた。何日かたって「すまんがスグに来てくれないか」という悲痛な電話がかかってきた。近くの介護支援センターへ走った。素人がヘタに動かして脇腹を悪くするのを恐れたからだ。介護員さんと一緒にお宅へ伺うとマットレスからズリ落ちた状態で俯伏せになったまま倒れたNさんがいた。
 介護員さんの計らいで直ちに入院したNさんは極度の脱水状態から癒え10日位で退院した。ヘルパーさんの手助けもあって順調らしく見えたが痩せかたが尋常でなかった。胃を切除して三分の一しかなく食が細いNさんに自炊をやめて給食サービスを受けたらどうかと勧めてみたが委託した様子は無かった。
 数日後の火曜日にいつもの喫茶店へ行くと、先週末久し振りに店に現れたNさんの様子が余りにも頼りなかったと女主人のY子さんが心配げに訴えた。介護支援センターへ寄ってNさんに給食サービスを至急に受けるよう手配してほしいと依頼した。
 三日後介護員さんがNさん宅へ行くと、すでに亡くなっていたという。
もしも火曜日に訪問してくれていたら、という悔いは残る。しかしこの介護支援センターのテリトリーには対象の高齢者が12000人もいて対応している介護員は僅かに6人だということを知っているから彼らを責めることはできない。

 左京区の高級住宅街にあるお屋敷で生まれたNさんは京大を卒業後有名商社に就職したが、のちに独立して東京でシンクタンクを設立、海外企業とのコラボ事業を手掛けたこともあった。晩年は月に何本かの講演で全国を回っていたと聞いている。3人の子どもはそれぞれ立派に独立し末娘はキャリア官僚として活躍中と自慢げに語るNさんの横顔が忘れられない。その彼がどうした経緯で独居に至ったかは詳しく語らなかったが、老いても意気盛んで何時も新鮮なものの見方で驚かせたダンディーな姿が鮮明に思い浮かぶ。
 
 野ざらしを 心に 風のしむ身哉  (合掌)