2011年2月28日月曜日

パンダ狂想曲

 上野動物園にパンダが帰ってくる、とNHKをはじめテレビ各局がトップ扱いの大騒ぎをしている。こうした東京キー局の東京圏偏向に苦々しく、時には腹立たしくさえ感じる。雪害や鳥インフル、火山爆発の被害を被っている地方はパンダどころではないであろうし、政治の目を覆うばかりの体たらくのこの時期、メディア感覚を疑う。

 九州新幹線開通を控えて華々しいイベントが繰り広げられている一方で北近畿タンゴ鉄道が累積赤字で廃線の危機に瀕しているという報道もある。これまで新幹線の開通の裏で在来線の廃線や三セク化で「地方切捨て」が行われ過疎化が容赦なく加速してきた。21日国交省国土審議会長期展望委員会は「2050年の日本の国土の姿」について、過疎化や少子高齢化の傾向が継続した場合、05年に人の住んでいた国土の約20%で住民がいなくなってしまうという中間報告をまとめている。

 チュニジアに端を発しエジプトを巻き込んだ中東の政変ドミノはリビアに飛び火し原油高が急速に進んでいる。こうした地政学的要素とは別に経済のグローバル化に伴う新興国の経済発展は加速度的にエネルギー需要を高める。化石燃料は中長期的に高価格化することが自明のなかEV(電気自動車)などの技術革新が進められているが、それよりも移動・輸送の将来展望として『個的移動・輸送から集団的移動・輸送へ』のパラダイムシフトを真剣に検討する時期にさしかかっているのではないか。自動車による移動・輸送を当然のこととして鉄道を廃線にしているが、そんなに遠くない将来又鉄道が必要になる時代が来ることはないのか(少なくとも国土の狭い我国ではその方が格段に効率的である)。そのときになって切り捨てた地方の鉄道を再生することは可能なのか。そんな心配は杞憂に終わるのだろうか。
 
 東京一極集中にシビレを切らした「地方の反乱」は『地域限定』とタカを括っているうちに『うねり』となって既成政党政治に『ノー』を突きつけることになりかねない勢いである。そうなったとき、「高速道路無料化」と「鉄道の在来線存続」のどちらがその時代の『最適の選択』になるのか。
政治の真価が問われている。

2011年2月21日月曜日

キュアとケアの前に

 「税と社会保障の一体改革」が推し進められようとしているなかで「年金支給開始年齢の早期引き上げ」について考えてみたい。
 政府案以外にもいろいろな改革案が提案されているが大まかにいって「65歳の支給開始年齢を70歳に引上げる」というところが中期的な収斂値となっており、その際「健康で体力があっても仕事を離れるという生活様式を改めて、年齢相応の仕事と貢献度に応じた報酬体系」を準備する必要を条件にしている。ここで問題にしたいのは『健康で体力がある』ということについて、それぞれの提案者がどれほど理解しているかということである。65歳と70歳でどんな違いがあるか分かっているかということを問うてみたい。

 成熟した社会では高齢者の罹患する疾病は生活習慣病が主になっている。そして治療の主役は医師や看護師ではなく患者自身であり、医療機関による治療以外に規則正しい生活、適正な食生活、適度な運動が求められる、当然のことながら喫煙は論外である。このうち規則正しい生活と適正な食生活は医療機関などで指導を受けることができるが「適度の運動」については「しっとりと汗が出る位の有酸素運動を30分~90分、週に2、3回」という目安が教えられる程度で具体的なメニューを提示されることは全くない。
 ジョギング、ウォーキング、自転車、水泳、ジムトレーニングなど自分なりに取組んではいるがそれがどの程度の効果を上げているかはほとんど計測不能である。ウォーキングを毎朝3、4時間やって膝を傷めてしまった友人もいる。ひとは簡単に「軽い運動を」というがこれほど難しいこともない。メタボリックシンドロームについて特定健診制度が設けられ判定基準や特定保健指導が義務付けられるようになったのは成人病予防にとって一大進歩であると思う(詳細についての是非は別にして)が、これと同程度の「肉体健康度の判定と対応運動メニュー」をスポーツ医学を併設している医療機関で指導を受けられるようにできないものか。

 65歳から70歳までの経年は肉体的にみて『本格的な老い』への過渡期にありこの時期の対応次第で以後の健康に重大な影響がでてくる。支給開始年齢の引上げを単なる財政再建のための数合わせでなく『キュアとケアの前のサポート期間』と捉える視点をもって取組んでほしい。

2011年2月14日月曜日

古稀

 今年古稀を迎える。古稀の原典は杜甫の漢詩にある。
 「曲江 其二」「朝より回りて日々春衣を典し/毎日江頭に酔いを尽くして帰る/酒債尋常行く処に有り/人生七十古来稀なり/花を穿つの蛺蝶深深として見え/水に点ずるの蜻蜓款款として飛ぶ/伝語す風光共に流転して/暫時相賞して相違うこと莫れと」
大意はつぎの通り。「朝廷より退出すると、毎日毎日の衣服を質に入れ、そのたびに曲江のほとりで泥酔して帰る。酒の借金は普通のことで、行く先々にできている。人生七十才まで生きることが昔からめったにないから、今のうちに存分に楽しんでおきたいのだ。(略)さあ自然よ、暫くの間は私と共にこのよい季節を楽しもうではないか」。
 
漢詩にみる中国の人たちの考え方は儒教の本場であるにもかかわらず、概して「快楽主義」に徹しているように窺える。一方我国の先人たちは「生真面目」で、たとえば吉田兼好「徒然草・第七段」はこんな具合である。
 「(ものに終りがないとしたら)いかにもののあわれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ。(どんなにか深い情趣もないことであろうか。この世は不定であるからこそ、すばらしいのだ。)(人間ほど長生きするものはない。満足せずに生きているならば)千年を過ごすとも一夜の夢の心地こそせめ。(永久に生きることができないのに生き永らえていれば)みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ(見苦しくない生き方であろう)。(略)ひたすら世をむさぼる心のみ深く、もののあわれも知らずなりゆくなん、あさまし(ただやたら俗世間のあれこれをむさぼる心ばかり深くなって、この世の情趣もわからなくなってゆくのは、まったくあさましいことである)。」

 人生僅か五十年の頃のはなしとはいえ淡白すぎないか。仏教に深く影響を受けていた兼好だから「諦観」することが『かっこいい』というところがあったかもしれない。いずれにしても日本人は外来思想を『純化』しすぎる傾向が強い。

 現在の「中国脅威論」は『強面』の下の「中華を貫かねばならない強がり」の側面を見落としている。

2011年2月7日月曜日

資本と経営の分離

 大相撲の八百長事件が騒動となって喧しい。しかしそれらの批判や議論は『大相撲が現在の興行形態で格闘技として成立している』ことを前提として語られている。本当にそうだろうか。世界一過酷な格闘技・相撲が、一場所に15日間連続して試合(取組み)が行われ年間6場所も興行が組まれている過密なスケジュールで『真実の格闘技』が実現できるのか。格闘球技ラグビーは1試合で消耗される体力の問題を理由としてオリンピック種目から除外されているではないか。

 現在の年6場所一場所15日連続興行が始まったのは意外に新しく1958年(昭和33年)である。江戸時代は晴天十日間興行であったが1909年(明治42年)に両国国技館が開館され晴雨不問の10日間連続興行が可能になる。1923年11日興行に変更され1949年(昭和24年)から15日興行が始まった。
 場所数は東京と大阪に分離していた協会が1927年(昭和2年)大日本相撲協会に統合され年4場所制になる。1933年の脱退事件、終戦直後の混乱などで変則興行が続いた後1950年(昭和25年)ようやく15日連続興行で3場所開催が行える環境が整う。栃若時代の到来は相撲人気を高めテレビの普及と相俟って1957年5場所に、1958年には現在の6場所制に増加して定着した。
 屋根付き国技館、相撲協会の統一、テレビの出現など相撲人気を盛り上げる種々の要因があって現在に至っているが、競技条件の変更に伴う競技者(力士)の身体能力に関する科学的検査が行われたということは寡聞にして知らない。現在でも幕下以下の取組みが一場所7日間であるのは体力的に15日連続競技に耐えられないことも原因のひとつではないのか。

 大相撲の屋台骨を揺るがす由々しき事態に至った今、興行形態の根本から検討する必要がある。例えば10日興行で前後半の間に3日間の休養期間を設けるなど、真の格闘技・相撲にふさわしい日程を模索することは大相撲改革の出発点であろう。
 「年寄り(親方)」が大相撲の『資本と経営』を独占する現体制から「経営」を第三者に分離することは、相撲協会再生の絶対条件である。
 
 朝青龍を「横綱の品格に劣る」と悪しざまに言い募った識者たちはどんな気持ちでこの体たらくを見ているのだろう。