2012年10月29日月曜日

啓蒙と政治

啓蒙について考えている。重くのしかかる閉塞感と目を覆うばかりの政治の劣化を打破し再生するためには市民の啓蒙が必要なのではないかと思うからである。

カントは啓蒙をこう定義している。人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ。未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ自分の理性を使うことができないということである。人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気ももてないからなのだ。だから人間はみずからの責任において、未成年の状態にとどまっていることになる。(略)ほとんどの人間は自然においてはすでに成年に達していて(自然による成年)、他人の指導を求める年齢ではなくなっているというのに、死ぬまで他人の指示を仰ぎたいと思っているのである。(略)その原因は人間の怠慢と臆病にある。というのも、未成年の状態にとどまっているのは、なんとも楽なことだからだ。(略)書物に頼り、(略)牧師に頼り、(略)考えるという面倒な仕事は、他人がひきうけてくれるからだ。(略)多くの人々は、未成年の状態から抜け出すための一歩を踏み出すことは困難で、きわめて危険なことだと考えるようになっている。(光文社古典新訳全集「カント・啓蒙とは何か」)。

『閉塞感』というのは一歩を踏み出す『選択肢』がない状態だ。『政治の劣化』は政治家が国民に希望の持てる『選択肢』を提示する能力がないことによる。我が国は長い間西欧先進国にキャッチアップすればよかった。世界は一部の有力国が合意を形成することで繁栄を寡占することが許されてきた。我が国も世界も未経験の領域に踏み込んでいる、他人の指示を仰げない状態にいる。

この時期政治はどうあらねばならないか。政治とは国という組織を運用する義務を背負う行為です。ところが物事を組織的に見る目の欠落から、(略)虚偽と隠蔽と推理力の欠乏とがそこに瀰漫するとき、そこには社会の弱体化、一国の文明の崩壊が待っている。そしてそれは言語能力の軽視、低下に相応じる。これは国語学者大野晋の考え方である(岩波新書「日本語の教室」)。大野は鈴木梅太郎、湯川秀樹ら先人の偉業を讃えたあとこう続ける。思考の底の底の部分で、言語の力と、(物理学の)構想力とが何かしら通じ合っているところがあると私は見ます。(略)文明といっても実はその基本は、「集める、選び出す、言語化する、論理化する」という行動にある。「組織としてものを見る」態度にある。(略)ただし、ここで注意すべきは右に挙げた人々はみな戦前の教育を受けた人であり、漢文や漢文訓読文で育ち、明晰・的確・秩序を心がけて育った人々だということです。(略)戦後50年たった現在、文明を維持する力を失いつつある。正確さの喪失、真実に対する誠意の欠如がそれである。

ノダる、などと若者から最低の評価を受けてしまった現首相の「空疎で不誠実」な言葉からは、もう何も生み出されないであろう。

2012年10月22日月曜日

今こそソフトパワー(2)

 中国のGDPがあと10年ほどで米国を抜いて世界1位になるという。世界経済に占める割合は20%、人口も14億人を超えるに違いない。しかしこうした数字は現在のトレンドをそのまま延長したもので実現するには数々のハードルがある。

米国が今日あるのは米ドルが世界の基軸通貨であったこと、自動車・家電製品・ITなどイノベーションで世界経済を牽引し絶えず生産性を向上して高い成長率を維持してきたことによる。一方中国は人口ボーナスによる低賃金を武器とした製造業の輸出力がこれまでの推進力であったが今年になってそれに翳りが出ている。生産性について考えると資源の最適利用が必須の条件だが、我が国でもそうであるように政府の規制や既得権層の存在がそれを妨げることが多い。報道されることが余りないが中国では汚職や格差に対する集団抗議行動が年々増加し05年で8.7万件(政府発表)も起こっている。コピー商品は横行している。鉄鋼に代表されるように政府の方針に反して過剰な投資が行われている。こうした現状の中国では生産性の大幅な向上を望むのは困難であろう。

中国の抱えている難問を列挙してみると次のようなものが考えられる。国民の90%の人々には退職金や健康保険がなく、都市部に住む約半数と農村部の4/5に当たる人は医療サービスが受けられない。中国の最大都市上位500の都市の半分では飲料水の確保ができずゴミ処理場が不足しているなど都市部のインフラ整備に相当の財政資金を投入する必要がある。人民元の安定性を強化し汚職を撲滅して公的財政部門の健全化を持続的に推進していく必要がある。さらに都市部に流入してくる数億人の人々に職を与え、所得格差を解消しなければならない。教育システムを改善して多くの管理職を育て上げることも必要であり、旧態依然の公共部門を改革し、個人の所有権並びに著有権を保護するための法整備も急務である。これだけの課題を一党独裁体制でこなすことは事実上不可能である。2025年には、いずれにせよ中国共産党の76年間にわたる権力に終止符が打たれるであろう(ジャック・アタリ著林昌宏訳「21世紀の歴史」作品社)。

中国は広大な国土を抱え、成長の潜在力を持った国だ。他国と同様に民主主義に向かっている。現在の体制はエリート支配の一形態だが、今後、民主主義の台頭に直面しながら持ちこたえることができるとは思わない。(略)中国の軍事力を懸念する必要はない。なぜなら、中国は本当の意味で軍事大国ではないからだ。強大な海軍、空軍を持つには程遠い(2012.9.9毎日新聞「ジャック・アタリ/時代の風」)。

世界1位になっても1人当たりで見ると15000ドル(130万円)弱で現在の日本の1/3、韓国の2/3程度に留まる。国威と国民の経済的厚生をいかに調和させるか。弱い犬ほどよく吠える、ではないが中国が強面に打って出れば出るほど、抱えている問題の根が深いということではないのか。

2012年10月14日日曜日

人間 指導者 政治

 ビール類の売り上げ不振が続いている。大手5社の1~9月の課税済出荷量は前年同月比1.4%減で8年連続の売り上げ減になる。原因についていろいろ言われているが所詮「旨くない」からではないのか。発泡酒が出てきたときには「ビールに似せたものだからこんなものだろう」で済ませたが『第3のビール』に至って「これはもう全く別物」と言わざるを得なかった。低価格で酔えればいい、なら代替品で少しでも旨いものがあれば缶チュウハイでも缶ハイボールでもいいわけで、結局ビール会社は大衆の嗜好の変化に振り回されて「自らの首を絞める」結果を招いたということだろう。
テレビも同様で「面白くない」から売れないのだ。デジタル移行で無理やり買い換えさせられたが内容はアナ ログ時代と何ら変わるところがなく、お笑い芸人等のタレント事務所主導の番組ばかりで面白くないことこの上ない。テレビは最早「電気紙芝居」ではない、情報チャンネルだ。そのことをテレビに関わる人たちは理解しているのだろうか。
ビールもテレビも「本質」を忘れて成長はない。

唐突だが人間の本質は何だろう?「人の性は悪、その善なるは偽なり」と荀子は「性悪説」で喝破している。人の本来の性質は悪であり人の性質が善であるのは人為の結果である、というのだ。私は長い間「本性が善である人は人格を偽っているのだ」と理解していた。何より誤解していたのは「偽なり」を「ギなり」と読んでいたことである。これは訳にもある通り「いつわり」でなく「人為」を意味しているから「イなり」が正しく、「偽」と「為」は昔は通じて用いられたからここでは「イ」と読むべきだ、と「小川環樹著漢文入門(岩波全書)」に教えられた。

では指導者の本質はどうあらねばならないのか?孔子は論語で次のように述べている。「子 子夏に謂いて曰く、女(なんじ) 君子儒と為れ、小人儒と為る無かれ、と(雍也篇より)」。簡単に言えば(小人儒)知識人で終わるな(君子儒)教養人と為れ、ということで「君子儒」が指導者の本質とみているのだ。知識だけでなく徳性とか、表現力・判断力・構想力・決断力等々人間性・人格性といったものを備えた人物が指導者にふさわしいことになる。(加地伸行著「論語」講談社学術文庫より)。

最後に政治の本質はなんだろうか?「誠実さは最高の政治である(略)誠実さはあらゆる政治に勝るという理論的命題は、いかなる異議をも限りなく超越して、政治の不可欠な条件となっているのである(カント「永遠平和のために―哲学的な草案」中山元訳・光文社古典新訳文庫より)」。

民主党政治が末期的症状を呈している。原発の再稼働問題や復興予算の流用問題で示した態度は政権党にあるまじき醜態である。未開で未熟であることを自覚して「人為」を重ね、政治人として政党として成長を期して欲しい。

2012年10月8日月曜日

今こそソフトパワー

NHK土曜ドラマスペッシャル「負けて勝つ―戦後を創った男・吉田茂」は渡辺謙の名演と脇役陣の充実もあって本年第一等の重厚なドラマであった。

戦後日本の復興が想像以上のスピードで高度成長を達成したについては緒論あるが「軍事費負担を極力回避」する姿勢に徹した吉田の存在が大きく影響したことは衆目の一致するところである。軍事費の過大な負担が一国の経済成長と負の関係にあることは多くの識者の指摘するところであり、ソ連邦の崩壊も米国との冷戦による軍事費の負担がその一因であったことは認めざるを得ないであろう。又米国の経済的衰退もベトナム以降の「世界の警察」としての戦費の過大な負担が累積して今日あらしめたことも否定し得ないところである。米国の軍事費と経済の関係については「アメリカ経済と軍拡・産業荒廃の構図(R.ディグラス著・藤岡惇訳ミネルバ書房刊)」に詳しい。

R.ディグラスは次のような結果を導いている。政府がハイテク兵器開発のためにこれほどの巨費を投じなかったとしたら、軍需分野の技術者たちは民間用のエレクトロニクス製品の開発に力を注ぐことができ、より効果的に日本と対抗できたであろう(p63)。新興の産業群から労働と資本を奪い取り金融的な冒険精神を去勢することこそ、軍事支出の必然的結果なのである(p142)。そして「政府の有する資源をレーガン政権のような規模で軍事面に移せば、(略)失業問題、海外市場の喪失、技術的優位の衰退、工場施設の老朽化といった焦眉の課題に対処する国家の能力は大きな制約を受けることになるであろう。/これと同じ資源を、我が国の経済的問題解決のために直接投入できるとすれば、逆に合衆国経済は強化されるはずである(p148)」と結論づけている。

中国経済が急減速している。中国政府が雇用確保のために最低限必要としてきた8%成長を割り込み7%台に落ち込んだ原因をヨーロッパ経済の変調による輸出の大幅な減少とする論調が多いが、過大な軍事費負担が経済の重しになっているという見方は成立しないであろうか。中国の軍事費は公表されている数字でGDPの1.28%だが最低でもその2倍は下らないというのが通説になっておりそれ以上を主張する識者もいる。世界第2位のGDP産出国に成長したとは言え、1人当たりのGDPは未だに年間5400ドル(約40万円超)で世界の89位に留まっている(日本は45900ドル約360万円)。成長段階に比して軍事支出の負担がアンバランスといえないか。ディグラスは、軍事費負担がアメリカ経済の実績を損なっていることは間違いない。ベトナム戦争当時のように経済がフル操業に近い状態にあるときにはとくにそうである(p55)、とも言っている。中国はまさにフル操業にある。

中国経済減速の主因が軍事費の過大な負担にあるというのはひとつの仮説であるがそのおそれがないと断言することはできない。中韓ロとの領土問題が非常に難しい局面を迎えている今、稚拙な「ナショナリズム」の横行を座視せず別側面から我が国国民と相手国民を啓蒙するソフトパワーこそ必要なのではないか。NHKがこの時期に「ドラマ・負けて勝つ」を放映する狙いがもしそこにあったとしたら、その慧眼には脱帽するばかりである。

2012年10月1日月曜日

見逃しの三振

 スポーツの秋である。近くの公園の野球場では毎日少年野球が練習に励んでいる。今年はその内の1チームが全国大会で優勝し又そのチームのOBがドラフトに選ばれたりして熱気も一入である。「オラオラオラッ!ボーっと立っとるだけではアカンやないか!バット振らんか、振らなボールに当らへんど!見逃しの三振だけはすんな!」監督の叱咤激励が飛ぶいつもの光景である。

 ジャイアンツがセ・リーグのペナントレースを制した。3年ぶりである。快進撃の要因はいろいろあるが第1は何といっても阿部慎之助捕手の打撃術の飛躍的な成長であろう。川上、長島、王、松井と続く歴代の巨人軍4番打者に比べても全く遜色のない、堂々たる4番打者振りであった。打率(.341)、打点(98)はセ・リーグの1位であるし本塁打(26本)も3本差で2位にいる(9月24日現在)。昨年は個人打撃成績(規定打席以上)24傑にも入らず打率(.292)打点(61)本塁打(20本)であったから正に『大躍進』である。9月23日ヤクルト戦5回2死2塁、7回2死3塁での敬遠はそんな巨人軍4番打者阿部慎之助を象徴するシーンであった。

 阿部選手大変身のキーポイントは何か?それは『見逃しの三振』!
ストライクを見逃す勇気を持てるようになった、阿部選手が独占手記でそう語っている(9月22日報知新聞)。橋上さん(戦略コーチ)は「割り切りが大事」っていう。今まで打てなかった投手に対して「低めを絶対に我慢しよう」とか「見逃し三振はOK」とかね。これまでだったら、三振したくないから振りにいっていた。でも「三振してもいいんだな」って思えるようになり余裕が生まれた。(略)技術的には何も変わってない。
橋上コーチの存在はチーム全体にも大きな影響を与えた。野村ID野球の申し子ともいうべき彼の戦略がチームに浸透したのは苦手阪神能見投手を攻略した時であった。「見逃し三振も許して欲しい」と首脳陣に進言したことで各打者が低めに外れる決め球フォークの見極めを徹底でき、3回で5点を奪いKOした。「一打席を捨てても次につながれば大きい。打者に割り切らせるのが僕の仕事」という彼の指導が昨年323個でリーグ5位だった四球が今年はダントツの427個でリーグ1位となり、じっくりと見極めた効果は昨年0.243だったチーム打率が2割5分8厘でリーグ1位となって表れた(データは9月24日現在、日経9月23日「圧倒・巨人3年ぶりのV」を参考にしています)。

 阿部選手が大躍進を遂げたのは『見逃しの三振』を受け入れる余裕にあった。だからといって少年野球も見逃しOKとならないのは言うまでもないが、有能なプロ野球選手を『大打者』に変身させるためには当然とされてきたセオリーにも挑戦する指導者の斬新な発想が必要なことを阿部選手橋上コーチが示したジャイアンツの優勝であった。