2014年8月25日月曜日

土地の二面性

 外国資本による国土の買収について批判的な報道が最近目に付くようになった。例えば対馬の自衛隊施設の近隣の土地が韓国資本に買収された事案であったり林野庁の森林買収に関する2013年度調査によって外国法人または外国人と思われる個人による買収が14件、194ヘクタールに上ったという発表などがそれである。対馬の場合は海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接して建設され、かねて問題になっている韓国人向けホテル「対馬リゾート」と地続きの土地で防衛上問題があるのではないかという懸念が示され、森林買収の多くは北海道に集中しており特に北海道共和町は163ヘクタールという広大な買収でこのまま放置しておいていいものか問題視されている。
 
 しかしこうした事態は当然予測されたことであり、戦後わが国政府の行ってきた経済政策の当然の帰結ではないのか。
 壊滅的打撃を受けたわが国は、戦後ガムシャラに「工業化」に突き進んだ。そのために「都市による農村の収奪」は『苛酷』に行われ農村から都市へ人口の大移動が起こった。就業者数が減少すれば「生産性の向上」を図るのが当然であるにもかかわらず逆に「規制」と「保護」でわが国農業は政策的に「競争の無い産業」へ仕立てられた。農地改革によって誕生した多数の「小・零細農家」を組織化し農業生産力の増進と農業者の経済的・社会的地位の向上を図るために設けられた「農協」は集票マシーン化するとともに一大政治組織に膨張し本来の農業経営のための組織から「農協のための農協」として自己増殖するようになって信用事業・共済事業に重きをおくようになり組合員も農家以外の準組合員の占める割合が飛躍的に増大した。農家の自主的な経営は政府の米作に偏重した農業政策によって自由度を奪われ、米価維持のための巨額の補助金と減反政策によって結果的に農村は「疲弊」せざるを得ない状況に陥った。工業化のための農村収奪は必要エネルギーの安定供給のため全国に54基の原子力発電(所)の設置という形でも行われ農村人口の多くが原発の運転・維持に流用され農業は見放された。
 こうした戦後のわが国経済政策のひとつの帰結が先般「日本創生会議」の発表した「2040年に896市町村が消滅」という衝撃的な報告に繋がった。
 
 以上見てきたように経済至上主義で東京一極集中を是認し地方切捨てを放置してきた結果、地方は疲弊し地方の土地の経済的価値はほとんど「無価値」に成り果て、その土地を購入する意欲が日本人でさえも尻込みするようになったところへ、外国資本が『政治的価値』を認めて「経済的価値」の何倍もの価格で購入を持ち掛ければ所有者は高価格を選択するのは当然である。少し前、尖閣諸島が中国に買収されそうになって当時の民主党政権があわてて20億円を超える価格で国有化したが、この例がまさにこの間の事情を象徴している。
 すべての土地取引を私経済的市場取引に委ねるのではなく、もし国防上必要であるならば「政治的売買」が行えるような環境整備を行わないと今後ますます『好ましくない』外国資本による国土買収が増加するに違いないが、そうなると「私権の制限」という問題にも配慮する必要があり現状の法体系には馴染まないかも知れない。しかし3.11東日本大震災もそうであったがこの夏の異常な集中豪雨による甚大被害が頻発しているのをみると、『平時の経済と非常時の経済』を同じように「私市場経済」で処理することが困難な状況が常態化していると考えるべきで、「危機管理体制」を「私権の制限」も考慮に入れて根本的に再整備し国土の「安全で安定的な経営」を実現しなければならない時代状況にあると認識すべきである。
 
 今回の広島の異常降雨による大規模土砂災害の甚大被害の報道のよると「土砂災害警戒区域指定」が土地価格を引き下げる懸念から住民に理解が得られないまま「指定作業」が遅滞している側面もあるらしい。また東日本大震災の復興事業が大幅に遅れている大きな原因が初動対策の「小規模と実行の遅れ」にあるといわれている。いづれも『私権の制限』という難関が立ちはだかって、迅速な対策が打てない原因になっている。
 
 「人命の尊重と国の安全」のためには「私権の制限」を受け容れざるを得ない状況にある。政治家のリーダーシップが問われている。

2014年8月18日月曜日

「不老不死」の生き方

 とうとう男性の平均寿命も80歳を超えた(厳密には80.21歳)。女性は86.61歳で世界最長寿の地位を保っている。一方健康寿命(健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間)は男性が70.42歳女性が73.62歳で平均寿命との差がそれぞれ10年と13年ほどある。単純に考えればこの10年なり13年間が医療機関を煩わすことになり膨張する高齢者医療費がますます増大する懸念が強まる。そのため厚労省などは予防事業と現役からの健康づくりを積極的に進めていこうとしているがこうした対策によって医療費の削減効果があるかというとそうでもないらしい。専門家によるとほとんど効果は確認はされていないという。 
 そこで問題になるのは「終末期医療費」だ。死亡前1ヶ月にかかった医療費を終末期医療費とすると平成12年度では平均112万円(/人)で約9000億円に相当する。終末期医療費が全老人医療費に占める割合は20%といわれており国民人が一生に使う医療費の約半分が死の直前2ヶ月に使われるという報告るように延命療は医療の世界ではドル箱といわれている。75歳以上の高齢者医療費の総額は2010年度予算ベースで12.8兆円、25年度には2倍程度に膨らむと試算されている。また医療費の観点から死亡場所を考えると病院などの医療機関は延命治療が十全に行えることから在宅に比べて格段に高額になる傾向が見られるが実際の死亡場所は2009年で自宅は僅かに12%に過ぎない(医療機関は81%)。
 結局健康寿命が延びても医療機関で死を迎えるケースが減少しない限り終末期医療費が先送りされるだけで高齢者医療費のトータルは殆んど変わりないだろうと想像できる。在宅か介護機関で終末期を迎える比率を高める方向に誘導していくことが高齢者医療費を削減する最も手短かな方法になる。
 
 長寿化や高齢者の死生に関わる問題を「医療費」という味気無い捉え方でなく「人間の生き方」として考えてみよう。大前提は80歳とか85歳というような超長寿は人類にとって未経験だということだ。1950年頃の西欧諸国の平均寿命は65歳から69歳で日本は61歳であった。それ以前はもっと短命だったから長寿化はここ5、60年で実現された特異な現象で、今高齢者医療の対象となっている種々の医療現象は「長寿が惹き起こした疾病」とみることもでき従来の『西洋医学の治療システム』の対象となっていた疾病と同じ系列につながるものかどうかは一概に判断し難いと言えなくもない。従って「健常から疾患そして死へ」という「生の捉え方」ではなく『非健常未疾患』の期間が相当あることを前提とした新しい『生き老い方』を考える必要がある。人間の身体器官は60歳が限度という見方がある位だから70年も75年も生きておれば経年劣化が起こって当然であろうし、最近の研究でガンは老化現象の一種であるという見方が有力になっているのもその表れだろう。わが国のガン治療はガンそのものをどう治療するか寿命をどう延長するか、という観点で語られることが多かったが、これからはガンを抱える高齢者の生活維持という視点からとらえ直そうという取組みも始まっている
 高齢者医療を従来の医療の延長線上に考えるのではなく「医療と介護」「西洋医学と東洋医学」を統合した範疇の分野を創設し、「治療―寿命の延長」と「高齢患者のQOL(生活の質)重視の治療―介護」という選択肢を提供するような医療のあり方が模索されてもいいと思う。具体的には、手術をすれば当面のガンは治療できるが体力を考慮すれば元の生活に復帰できる可能性は低く寝たきりになる覚悟がいるような場合、手術はせずに痛みを和らげ病状の進行を遅らす「QOLの維持を最優先」に考えた介護主体の『ケア・プラン』も提示されて患者がそれを選択する、ということになるかもしれない。
 
 しかしこうなるとこれはもう、その人の『死生観』の問題になってくる。しかし「超高齢社会」の高齢者は今まさにこうした問題と真正面から向き合うべき時期に至っているのだと思う。「終活」とか「エンディングノート」であるとかマスコミの問題の本質からずれた浮ついた煽動に操られず、また医療費と年金の膨張の元凶としてしか高齢者を見られない「経済至上主義」の若輩を後目に、人類が「いにしえ」から究極の問題として追求してきた「哲学的主題」に「おとな」として矜持を持って『臨む』。そんな姿勢を若い人たちに高齢者が示さなければこの歴史的変革期の困難な問題に回答を導くことは、誰にもできなのだから。
 
 「不老不死」は人類の究極の願望であった。いまそれが『半ば実現』されつつある。その結論は『そこにいる老人』が示すのが当然であろう。
 「生きること」はむつかしい。しかし「死ぬこと」もそう容易(たやす)いことではない。

2014年8月11日月曜日

常識は疑わしい

 最近知ったのだが、今普通に行われている「神前結婚」の様式は大正天皇の結婚式を庶民風にアレンジしたものでまだ百年の歴史もないという。また神社に詣ったとき拝殿で行う二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)の礼拝法は明治維新の「廃仏毀釈」に伴って、それまで一般に普及していた拍手を打った後両手を合わせて拝む形は仏式と紛らわしい、という理由で新たに定められたのがはじまりらしい。
 このふたつは、我々の常識ではいづれも相等以前―結婚式は少なくとも江戸時代から、礼拝法はそれこそ神代の時代から、はオーバーとしても平安時代頃からあったように思い込んでいたのではないか。考えてみれば「礼儀作法」として礼法の師範がもっともらしくご教示される内容には疑ってみれば随分可笑しいものも少なくない。例えば「水洗トイレの使い方」など水洗トイレ自体が一般化したのはここ30~50年位のことだから「古式礼法」に記述されているはずもなく師範が時流に合わせてそれらしく新考案したのに違いない。
 
 こうしたことを考えているとここ十数年の傾向として若い人たちがイヤに伝統様式や伝統行事を有り難がる風潮が嵩じているようで少々不安になってくる。バブルがはじけて不況になりデフレが長期化するなかで生まれ育った彼らは、出世や成長のモデルを失ったままで頼りな気な周りの大人たちを見ていて、自分なりに何か「しっかり根づいた物」を見出そうとして『伝統』に靡(なび)いたのかも知れない。もしそうならこれは危険な兆候といわねばなるまい。
 
 最近見たドラマに、60年安保や学園紛争の時代に生きた父をもつ子どもが「それで世の中は変わったのか!」と反抗するシーンがあった。これを見て思った。「そうじゃないだろう。若いということは既存の体制、既存の権威を疑い反抗するものではないのか。結果はどうあれ、それが世代の集団的意思に高まるかどうかは別にして、疑うことが特権ではないのか」と。
 知性というものを一っぺんも疑った事のないやうな弱い知性ではもう役に立たぬ。そこで彼(ソクラテス)は方向を転回し、凡そものを考える出発点も終点も「汝自身を知る」事にあると悟った(プラトンの「国家」より)。このプラトンの強烈なメッセージを若い人も、そしてそうでない人も知って欲しい、こんな混沌の時代なのだから。
 
 1575年末頃京都の基督教新会堂「昇天の聖母」を着工する。/フロイスが送った建設時の様子「ローマかリスボンへたった二人のアラビア人が来て、キリスト教の会堂の側に、モハメッド教のモスクを立てているのと同じだ」。/1576年の夏、オルガンチノはシャピエルの日本についた8月15日、聖母昇天祭の日を選んで、この会堂での最初のミサを献じた。この年の暮れ行われたクリスマスの祝いは新しい神父ジョアン・フランシスコを迎えて盛大に行われた。/キリシタンらは日本の中央の都に壮麗な会堂を持ち、屋根に勝利の旗・光栄ある徽章としての十字架を輝かせ、そこで公然と福音を説いている、――このことが日本全国の異教徒や領主たちに知れ渡るのである。それはあたかも主キリストの勝利を示すかのように感ぜられた。この気持ちは、日本の各地に勃興した英雄たちがいずれも京都をめざして動いていた時代、京都占領が覇権の成就として受け取られていた時代にあっては、実際に現実的な裏づけを持っていたのである。(略)かくして1577年中の京都地方の受洗者は一万一千に達したのである。(和辻哲郎著「鎖国」より)。
 この引用に見るように織豊時代から江戸時代の初めにかけてキリシタンは増加を続け最盛期には約60万人に達しているがこれは当時の総人口が2000万人前後だった事を考えると実に3%近かった事になる。しかもキリシタン大名の多さを思い合わせると少なからざる地方でキリシタンが一大勢力であったと想像できる。しかし私たちの学んだ(そして多分ほとんどの人たちの)日本史の教科書にはこうした記載は一切なかった。これは鎖国をした徳川幕府にとって都合の悪い『事実』であったから意識的に歴史から抹殺したのであろう、そしてその措置を以後の歴史家たちも踏襲してきたからに違いない。
 
 『歴史』として教えられ、常識と思い込んでいることさえも疑わしいと思いを致さなければならない時代に我々はある。

2014年8月4日月曜日

菅ちゃん英語とLINE

 MBS毎日放送「ちちんぷいぷい」に「道案内しよう」というコーナーがある。お笑いコンビ・ロザンのふたりが大阪駅前で道に迷っている人を道案内するという構成になっているのだがロザンのひとり菅ちゃんが何ともキテレツなブロークン・イングリッシュを使う様が滑稽で人気になっている。菅ちゃんは英語が苦手でボキャブラリー(語彙)が貧弱なことは百も承知なのだが外人さんに懸命に話しかけようとする。適当な単語が思い浮かばず知っている語彙を組み合わせ、それも伝わらないと身振り手振りでそれを補い、時には日本語に感情を込めて相手に訴える。こうした菅ちゃんの熱意が伝わるのか相手は想像力を働かて何とか意味を聞き取ろうとして、結局会話は成立するのだがそこに至る過程の菅ちゃんの奮闘振り好感が持てて楽しいコーナーになっている。相方のクイズ王・宇治原の控え目なからみ振りも良い。
 
 フェイスブックやLINEなどのSNSは「菅ちゃん英語」の対極にある。言葉の論理的側面に信頼を置いて「短文による言葉の遣り取り」で意思の疎通を図ろうとしている伝えようとする内容が「短文」でも間違いなく伝わると信じている。ところがボキャブラリーが乏しく尚且つ短文だから誤解の生ずる危険性が非常に高く操作上の規制や制限もあって、SNSを介した揉め事や犯罪が少なくない。
 
 言葉には「論理的側面」と「心理的側面」があるが最近の傾向は「論理面偏重」になっている。例えば私が兄と出かけある会合で「お兄様はどちらですか」と問いかけられた場合を想定してみよう。「あれが兄です」と私が答えたとしてその時いかにも苦々し気に云えば、相手はこの兄弟は余り仲が良くないのだなと感じるだろうし、反対に、誇らしげに親しみを込めて言えば、弟さんはお兄さんを尊敬して好きなんだと思うに違いない。「あれが兄です」だけではこうした微妙なニュアンスは伝わらない。
 そもそも言葉自体が不完全なものである。恋したとき、その感情を相手に伝えようとしてどうしても上手くいかなかった「もどかしさ」は誰しも経験のあるところだろう。またメール言葉の選択を誤ってとんでもない誤解を招いたことも何度かあるのではないか。カタカナ英語の氾濫している現在、例えば「コンソーシアム」などという言葉は話し手のレベルの差でその包摂している概念にかなり隔たりがでてくることもあるだろう。いずれにしても「言葉」というものは相等訓練して制御する能力を身につけないと遣(使)いこなすことが難しいものなの
 
 だから最近盛んに叫ばれている英語教育の早期化には危うさを禁じ得ない。そもそも言葉の最も重要な働きは「母国語で考えをまとめる」ことにある。近頃見るテレビ広告のなかに、0歳児に英語を覚えさせようとするものがあるがこの広告の商品で育てられた子どもは「母国語」は身につけることはできるのだろうか。もし「母国語」が獲得できなくても『思索』は可能なのだろうか。思索など普通の生活を営むには不要だという向きもあるかも知れないが、言葉を習得する過程で無意識にしている論理操作によって「思索」は行われている。そこに言葉を習得することの不思議さがあるのであって、どうも最近は言葉のテクニカルな側面ばかりが強調されているようで不安である。
 
 テレビタレントには「恐怖の瞬間」があるという。無意味な―意図せざる「無言」の時間をそういうらしいが数秒つづくと「放送事故」となる危険性を感じるという。しかしこれだけ「言葉が氾濫」し、しかも年々早口になってくると「無言」が貴重に思えてくる。
 ふたりで居て、スマホも携帯もなしで、無言で過ごしても何の不安も抱かないで温もりのある時間を持てるような、そんな成熟した「おとな」ありたい。