2015年1月26日月曜日

デフレは脱却できるか

 安倍首相は日銀の非伝統的金融政策と協調してデフレ脱却を図ろうとしている。日銀の政策は長期国債を中心とした各種資産の買入れにより民間にお金を大量に供給し、市場参加者の予想インフレ率を引き上げる金融手法ということになる。つまり貨幣が増えれば将来その一部が物やサービスの購入に向けられるためインフレ率は上昇するだろう、と予想しているわけである。市場参加者の大きな部分は我々消費者であるから我々が将来物価が上昇するであろうと予想―『期待』していると政策当事者は見込んでいることになる。(消費税8%増税がなければ消費者物価は2年で2%上昇しこの政策は成功していたかも知れない)。しかしこの政策は根本的なところで「現在の日本の経済状況」を読み誤っているのではないかという疑問がある。
 
 疑問の大元は「年金生活者は物価上昇を嫌う」というところに基づいている。年金生活者は本質的に『防衛的』であり『保守的』である。何故なら年金は原則的に減らされることはあってもサラリーマンのように収入が増えることは期待できない。「物価上昇」は年金の『目減り』を意味し従って年金受給者は「デフレ歓迎」なところがある。
 平成25年現在の総人口は約1億2730万人でそのうち65歳以上は約3190万人75歳以上は約1560万人でそれぞれ人口の25.1%12.3%を占めている。国民年金の受給者は平成24年度で約3000万人強である。一方家計の所有する金融資産は1654兆円(2014年9月現在)、このうち60歳以上の保有比率は65%とも70%ともいわれている。(金融資産には不動産と個人事業者の事業性資金が含まれているので正味金融資産は500兆円弱とみるのが妥当であろう)。又消費性向(可処分所得に占める消費支出の割合)は50歳代までは70%であるが60歳代以上になると120%に跳ね上がる傾向を示している。
 
 常識的に考えて50歳代までは懸命に生計を維持しながら子どもの教育、住宅の取得と老後の貯蓄に励み、リタイア後は年金収入の不足を貯蓄の切り崩しで補いながら生活をエンジョイするというのが有り勝ちであり、そう有りたいライフスタイルであろう。とすれば、消費を増やすための「肝腎」は「高齢者の消費(及び贈与―所得の移転)意欲」を高めることにあると言ってもあながち見当違いでない。国も当然そのことに気づいて「NISA(少額投資非課税制度)」や「教育資金贈与の非課税制度」などあれこれ工夫を凝らしている。
 然し根本的なところで誤っている。
 
 国はデフレ脱却に向かって国民の気持ちを「将来に期待する方向」に導こうと「金余り」状態にして消費(国民経済の7割を占める)を増やそうと目論んでいる。消費の鍵は金融資産を多く持っている「高齢者」が握っている。彼らが気持ちを大きく持って財布のひもを緩めるようにもっていかなければ消費は増えない。
 ところが実際は「社会保障費の膨張が財政危機を齎している」と声高に追及して「医療費削減」「年金の切り下げ」「介護保険の適用範囲縮小」と矢継ぎ早に「高齢者を不安に追い込む」政策を打ち出している。一方で「労働市場改革」の大義を振りかざして「雇用の流動化(非正規雇用の増大)」「解雇規制の緩和」や「年功序列と生涯雇用の日本型雇用制度の改革」を強引に進めようとしているがこれは高齢者の子どもや孫世代の生活や生涯設計を今より不安定にする政策であり、これでは高齢者の財布の紐の緩もうはずがない。
 政府は世界的潮流として「アメリカ型経済運営」に範を取りその方向に日本を持っていこうとしているが、そのアメリカは健康保険も年金制度も『自己責任型』であり極めて『格差の大きい国』である。
 政府が進めようとしている政策のトータルはひたすら「高齢者の不安を増大する」方向性を示している。
 
 高齢者がインフレ経済で経済成長を享受できる唯一の方法は、安心して株式投資に資金を投入できる情況を形成することであるが、実際の株式市場はインサイダー取引や超高速取引が野放図に跳梁している極めて不完全な市場であり、素人でも比較的安心して投資できる投資信託も元本割れ多く僅かに国債や社債で構成されたものか物価連動国債向けの低リスク低リターン型しか手が出せない有様である。
 
 これでは「高齢者の消費と贈与の拡大」による「デフレ脱却」が実現できるはずがないではないか、というのが大いなる疑問なのである。

2015年1月18日日曜日

戦艦大和ノ最期

 海戦史に残るべき無謀愚劣の作戦 
 世界の三馬鹿、無用の長物の見本―万里の長城、ピラミッド、大和
 
 昭和20年329日戦艦大和は必敗の作戦へと呉軍港を出港した(最期の出撃に乗組む栄に浴せるもの、総員3332名)
 
 本作戦の大綱は次の如し―先ず全艦突進、身をもって米海空勢力を吸収し特攻奏功の途を開く 更に命脈あらば、ただ挺身、敵の真只中にのし上げ、全員火となり風となり、全弾打尽すべし もしなお余力あらば、もとより一躍して陸兵となり、干戈を交えん かくて分隊毎に機銃小銃を支給さる/世界海戦史上、空前絶後の特攻作戦ならん(略)かかる情況を酌量するも、余りに稚拙、無思慮の作戦なるは明らかなり/長官以下の第二艦隊司令部と、各艦艦長を挙げての頑強なる抵抗に対し、中央は直接説得のほかなき異例の事態と認め、特使として伊藤長官と兵学校同期、かつ親交厚き草鹿連合艦隊参謀長の派遣を決定せり/「一億玉砕に先がけて立派に死んでもらいたし」との最後的通告を得て、ようやく納得されたり(略)「なに故に豊田長官みずから日吉の防空壕を捨てて陣頭指揮をとらざるや」と若手艦長が特使一行に詰問せるは、特攻艦隊総員の衷情を代弁せるものというべし(p43)
 本作戦は、沖縄の米上陸地点に対するわが特攻攻撃と不離一体にして、更に陸軍の地上反抗とも呼応し、航空総攻撃を企図する「菊水作戦」の一環をなす(特攻機は攻撃用の過重な爆薬を積載しているため動きが鈍重になり米迎撃機の好餌になる虞がたかい、米戦闘機の猛攻撃を逸らすために)米迎撃機群を吸収し、防備を手薄とする囮の活用こそ良策なる しかも囮としては、多数兵力の吸収の魅力と、長時間拮抗の対空防備力を兼備するを要す/「大和」こそかかる諸条件に最適の囮と目され、その寿命の延命をはかって、護衛艦九隻を選びたるなり/沖縄突入は表面の目標に過ぎず 真に目指すは、米精鋭機動部隊集中攻撃の標的にほかならず/かくて全艦、燃料搭載量は往路を満たすのみ 帰還の方途、成否は一顧だにされず/世界無比を誇る「大和」の四十六糎主砲、砲弾搭載量の最大限を備え気負いに気負い立つも、その使命は一箇の囮に過ぎず 僅かに片路一杯の重油に縋る/勇敢というか、無謀というか(p41)
 
 
 のち明らかにされたるも、東京日吉に常駐の豊田連合艦隊司令長官より逐一令達されつつある「天号」作戦の構想に対し、伊藤長官(「大和」座乗の第二艦隊司令長官伊藤整一中将)は当初より強硬なる反対を表明せるものの如し 反対論拠の第一は、わが空軍掩護機の皆無(略)/第二、海上兵力の劣勢(わが方は駆逐艦八を含む十隻、敵は六十隻を下らず)/第三、発進時期の遅延(下命は米機動部隊避退の一日後なり これを半日繰上げ避退軍に膚接して発進し、夜間外洋を進攻するを可とす)/少なくとも発進時期の最終的決定は現地指揮官に一任すべきが当然なりと、伊藤長官は切歯扼腕せりというp17
 
 「航空機による大戦艦攻撃法という、俺たちが緒戦で世界に叩きつけた問題に、ここで鮮やかな模範解答をつきつけられたようなものだな」(p105)
 
 艦長「御真影の処置はどうか」(略)私室に御真影を奉持して、内側より扉に鍵したると 身をもって護る、これにまさりて確実なる手段なし/見れば、航海長(中佐、操艦航行の責任者)、掌航海長(中尉、その輔佐)向い合って「ロープ」を手繰りつつあり/膝を交互に組み合せ、肩をぶつけ合って、互いの足腰を羅針儀に縛りつけんとす/万一浮上せば、恥辱たるのみならず、四肢自由のまま水中に没すれば、生理的に浮上を求めもがくこと必定にして、苦痛に堪えざるなり(p117)
 暗号士より暗号書の処置終了を伝声管にて届く―みずからの腕に軍機密書類一切を抱き、艦橋暗号室に入りて内よりこれを閉ざせりと/敵の入手防止には完璧を期せる暗号書 鉛板を表紙に打って沈降に万全を期し、更に潮水にあえば溶け去る特殊「インク」をもって印刷し、かつ活字の跡を消すための文字と異なる紙型を二重に強く刻印せり しかも暗号士、身をもって機密を保持せざるべからず(p120)
 
 ここに艇指揮および乗組下士官、用意の日本刀の鞘を払い、犇めく腕を、手首よりばっさ、ばっさと斬り捨て、または足蹴にかけて突き落とす、せめて、すでに救助艦にある者を救わんとの苦肉の策なるも、斬らるるや敢えなくのけぞって堕ちゆく、その顔、その眼光、瞼より終生消え難からん/剣を揮う身も、顔面蒼白、脂汗滴り、喘ぎつつ船べりを走り廻る 今生の地獄絵なり―(p156)
 
 多くの生還者が一致して証言せる異常事象あり 救助作業のため駆逐艦洋上に停止せし間、米水上偵察機一機、ことさらに我らが頭上を旋回せり 漂流者の眼には定かならざるも、駆逐艦乗組員中には、不気味に静まりて超低空を匍いまわる機影を記憶せるもの少なからず/縦横疾駆の機能こそ駆逐艦の生命なれば、その行き脚の止るや、脆弱極まる存在となるこれを低空より襲うは赤児の手を捻るにも等しきが、上空に待機せる戦闘機、爆撃機の奇襲より我らを遮蔽し、絶対の防壁として作用せしは、ほかならぬ偵察機の謎の旋回行動なり(略)偵察機の遮蔽活動が、指揮官機の下命、あるいは人道的動機に基づくものなること考え難し(略)ただ日米決戦の終幕を汚すを潔しとせざりしならん(p156)
 
 以上は吉田満著「戦艦大和ノ最期(講談社文芸文庫)」からの引用である(原文はカタカナ表記であるがひらがな表記に改めた)。吉田満は昭和19年東大法科を繰り上げ卒業、海軍少尉、副電測士として大和に乗組んだ。哨戒当直(艦内の見張り、報告、命令を掌握する)にたまたま立直したという偶然が、艦内全般の戦況を大局的に捕捉する機会を得る結果となり、この書を執筆するに至った。戦後日本銀行行員として要職を歴任した人である。
 
 最後に哨戒長臼淵大尉の洋上での述懐を記してこの稿を閉じたい。
 痛烈なる必敗論議を傍らに、哨戒長臼淵大尉、薄暮の洋上に眼鏡を向けしまま低く囁く如く言う/「進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ/日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」(p46)

2015年1月10日土曜日

七日正月 

 
 七草粥をすすりながら今年の正月を思い返すと中国人の「福袋」の大量買いが印象的であった。いや中国人に限らず韓国やアジアの人たち、オーストラリアや米欧人も挙って福袋を買いこんでいた。そして異口同音に「中身は分からないけど日本製品は安全だから、日本人を信用しているから」と『無邪気に』楽しんでいるのを見て、胸がジンとした。そして、こんなに「信頼」して貰っていいのだろうかと少々不安に感じると同時に彼ら、世界中の人たちの我が日本に対する『尊敬』を有り難く感謝せずにはおられなかった。
 そういえば外国人がよくこんなことも言っている、「財布を落としても必ず手元に戻ってくる、それも中身の現金もパスポートも。信じられない!スバラシイ!」と。我々にとって当然のことがこんなに驚くことなのかと不思議に感じるが、一方でこうした習慣がこのまま続いていくだろうかと不安も過(よ)ぎる。
 
 「おとす」ということは、人間のものでなくなってしまうということなのです。つまり「落とした」ものはその人から「無縁」になってしまい、神仏のもの、「無主物」になってしまうとも言えるでしょう。ですから、今でも落としたものを見つけたからといって勝手に自分のものにしてはいけないので、ある程度の時間がたたないと、自分のものにすることはできないのですが、そこに「落としもの」の性格があらわれています。
 これは網野義彦著「『忘れられた日本人』を読む」からの引用です。(「忘れられた日本人」というのは宮本常一の民俗学の代表作です)。これから想像されるように今でもわれわれの深層心理には古の未分化な自然信仰的な『畏怖心』が息づいているのです。しかし、いつまでもこうした状態が続くという保証はどこにもない、むしろ徐々に危うい状況が迫ってきている。ここで何か「歯止め」をかけないと、あっと言う間に「世界標準」に堕落してしまうに違いない。(だからと言ってスグに「教科・道徳」を持ち出してくる浅薄な昨今の右傾思想には大きな危うさが潜んでいることに我々はもう気づいている)。
 
 一方で残念な結果も報道された。理研と小保方晴子氏が発見したとされた「STAP細胞」が、根拠となる論文が捏造されたものとして「不正確定」し、その存在が完全に否定されてしまったのだ。あの、昨年早々一世風靡した輝かしい騒動は一体なんだったのだろうか? 理研という我国最高の科学機関に何があったのだろうか?
 
 中谷宇吉郎が師・寺田寅彦(ふたりとも理研の出身である)のことばを借りてこんなことを言っている(「中谷宇吉郎集第一巻『先生を周る話』」岩波書店より)。実験家として立って行くには、決して億劫がってはいかぬ。どんなつまらぬ事でもやってみなければ分からぬものだから。まずやってみることが一番大切なんだ。頭の良い人は実験が出来ぬというのもそのことで、あまり頭の良い人は何でも直ぐ分かってしまったような気がするのでいかんのだ。どんな事でもやってみなければ決して分かるものじゃない。何といっても相手は自然なんだから。
 理研というのはそれこそ日本で最も頭の良い人の集まりである。「STAP細胞」という言わば「無から有を」生むような画期的な発見を発表するなら、愚直に億劫がらずに実験を繰り返し蓄積して、理研全体が納得し確信する過程が必須であったはずなのに、どこで「分かってしまったような気」になったのだろうか。
 宇吉郎はこんなことも言っている。「オリジナリティというものは、何もないところから出るものじゃなくて、出来るだけ沢山の人のやったことを利用して初めて出せるものだからね(前掲書より)」。「STAP細胞」のような前代未聞の発見はそれこそ「出来るだけ沢山の人のやったことを利用」する心構えが必要ではなかったろうか。それを一足飛びに「オリジナリティー」を求めすぎたのではなかろうか。「科学者というものは、宜しくrationalistすなわち合理的に物を考える人にならなければいけない。(略)ラサフォードが自分はアマチュアである、決してprofessional scientistではないという回答をしていたが、大いにわが意を得たりと思ったね。(略)いつまでもアマチュアの気持ちを失わずに、楽しみながら、終始目を開いて仕事をしなければいけない。それがすなわちrationalistなんだよ(前掲書より)」。細分化し専門化が極端になった最近の科学界は隣接する領域でさえも口出しできない『傲慢さ』が横溢しているのではないか。折角の世界に誇る専門家集団が組織的欠陥によって集合としての『集積』を生かせないのはまことに残念なことである。
 
 科学というものは、整理された常識なのである(前掲書より)。
(2015.1.12)
(科学社会1934文字)(476/266 市村 清英)

2015年1月5日月曜日

中国を考える

 昨年の世界的景気減退は「新常態」といわれる中国経済の高度成長からの離陸―10%超から7~8%台への中高度成長へ―が影響していると見ることができそうだが中国経済の実態は香港の数字を差し引くとせいぜい4~5%成長だという専門家も少なくない。そこで年頭に当って中国について考えてみたい。
 
 中国経済の最大の特徴―弱点はマクロとしての1国経済=GDP国内総生産とミクロの1人当GDPの乖離という『矛盾』にある。中国経済は今や世界第2位(2013年9兆4691億ドル)に浮上し数年のうちに米国を抜いて世界一になると予想されている。ところが1人当GDPは6千960ドルで、豊かさの目安とされている「1人当GDP2万ドル以上」と相当な隔たりがあり「国の豊かさと個人の貧しさ」の極端な乖離が齎す『矛盾』が抜き差しならない「国情の不安定」を現出している。そしてこの矛盾は決して解消できない難問として今後の中国を根本的に規定しつづけるところに悩ましさがある。何故なら中国が1人当GDP2万ドルを実現するためには地球がもう二つ以上必要となるほど膨大な資源量が欠かせないからである。
 その原因はいうまでもなく13億8400万人を擁する人口の多さにある。世界人口70億人の20%近い人口はこれまで中国経済を強力に牽引するエンジン=「人口ボーナス」として機能し、1980年代初頭から25年以上に亘って10%を超える高度成長を続けてきたが、2012年ついに生産年齢人口(15~60歳)が減少し「人口オーナス期」に転じた。この間競争力の大きな要因のひとつであった「低賃金」は「製造業一般工・月額(2013年)」でみると400ドル前後に達しシンガポールを除いたアジア地区では最上位近くまで上昇した結果10倍以上あった日本(約3000ドル)との格差も縮小、賃金だけの比較なら中国以外への工場移転も選択肢として十分考慮に値するに至っている(400ドルを4万円と考えてみると国内非正規雇用者の平均賃金との差は著しく減少していることが分かる)。しかしこの賃金も地域間格差が激しく「富の偏在・格差の拡大」として中国政情を不安定にしている。
 格差問題は企業の効率性の分野にも存在している。国有企業の比率は6割近くから25%まで低下しているとはいえ総資産利益率で企業の効率性を測ると民間企業の12%台に比べて4%台で低迷したままである。これまで中国政府が堅持してきた国有企業優先主義を打破し民間企業の市場参入と平等な競争原理の導入という企業改革が習政権の構造改革の中核であり中長期的な中国の成長力を決定付けるだけに2013年11月の三中全会(中央委員会第3回全体会議)の構造改革の決議の重要性がここにある。
 中国経済を語るとき為替政策を忘れることはできない。2006年の人民元改革によって変動相場制へ移行されたがあくまでも管理フロート制(管理変動相場制)であり、昨年のように中国経済の減速が鮮明になると当局の人民元売り・ドル買い介入によって人民元がドルに対して2.42%の下落を示し輸出競争力の下支えが図られるなど、「一国二制度」の香港の中国化を含めて、中国経済の開放は不透明なままである。
 最後に「国防費の膨張」を最重要ポイントとして取り上げる。2014年の国防予算は前年実績比で12.2%増の80823000万元(約133000億円)に達し4年連続2桁の伸びを示した。しかし中国の実際の国防費は公表数値の3~5倍あるともいわれており実際のところは不明である。そのことは国防費のGDP比が中国の場合2.1%(2011年)でアメリカ4.7%ロシア3.9%イギリス2.6%フランス2.3%に比べて極めて不釣合いに映ることからも類推される。問題は軍備費の国力に与える悪影響であり、このことは歴史的にもソビエト連邦の崩壊や近年のアメリカの国力低下による世界政治への影響力のカゲリを見ても明らかである。しかも中国の場合はソ連同様1人当GDPが低いにもかかわらず軍備増大をつづけているところにあり、このままでいけば現体制の維持に重大な結果を招く可能性が非常に高いと危惧される。
 
 以上中国経済と政治状況について思いつくままつづってきた。「巨大化する国力と国民の平均的な貧しさ」は中国最大の「不安定な危険因子」であり現体制が続く限り克服できない課題として作用するに違いない。そのうえ「中華思想に基づいた覇権主義」は国防費の不断の増大を要求するに違いなくこれが中国経済にボディブローのように効いて疲弊を齎す可能性が極めて高い。キャッチアップ経済を卒業した経済は「生産性の向上」が至上命題だが、投入労働力の低下(生産年齢人口の減少と高齢化)と政府系企業の非効率を温存したままでは実現に疑問符が付く上、拡大する格差は国民の生産意欲を減退させその不満は反政府紛争の激化として「不安定要因」となるに違いない。
 
 今年の中国は表に現れる現象に惑わされず、その底に沈殿していくマグマの動きまでを見通す沈着な分析力の問われる一年になりそうだ。
 今年もご愛読よろしくお願いいたします。