2017年1月30日月曜日

村上春樹はなぜノーベル文学賞を受賞できないか

 「生くること やうやく楽し 老の春」新年を迎えて富安風生のこの句をしみじみと感じるようになりました、「時間」に解放されたのかもしれません。俳句つながりで言えば除夜の鐘を聞きながらいつも浮かべる句があります。「去年今年 貫く棒の如きもの―高浜虚子」除夜の鐘の響いている去年と今年の狭間、まさにそのときを表す季語が「去年今年(こぞことし)」なのですが、燗酒をチビリチビリとやっているうちに年が明けてゴロリと去年が今年になる、そこに不確かだが「私」という存在がある。その実感が見事に現されている佳句です。
 
 ところで、村上春樹がノーベル文学賞を受賞できない理由が分かった、と言えば驚かれるでしょうか?嗤われるでしょうか?彼の作品は日本の文学者や評論家に人気がないから、というのがその理由です。素人のお前がなにを偉そうに言っているんだ、と叱られそうですが彼の本を読んでそう思ったのです。
 
 『象の消滅』という短篇集が私の読んだ村上春樹の最初の小説です。今年早々、図書館へ行って何でもいいから短篇集の面白いものはないかと探していて偶々手に取ったのがこれだったのです。以前から一度村上春樹を読んでみたいと思っていたのでこれ幸いと借りて帰りました。作家を知るには短篇が最適だといいますから格好の本に出会ったことになります。
 才能の片鱗をうかがわせる初期の短篇集です。1949年生れの彼の30歳代から40歳代にかかる頃の作品で私の知っている他の作家とは驚くほど異質の作風です。最も特徴的なのは「言葉選び」と「文の構成」―文体が極めて『アメリカ的』なことです。和歌、漢詩、俳句を基底においた大和ことばと漢語による「漢字かな混じり文」という範疇にはまったく納まらない「乾いた」文体は日本人作家のほとんどの作品とは一線を画する小説だと感じました。彼のこうした作品が日本人作家のノーベル文学賞作品として評価を受けることには多くの日本の作家や評論家は『拒絶感』を覚えるだろうなぁ。一読してそう感じたのです。
 もうひとつ加えるなら「分かり易さ」も彼の作品の欠点かも知れません。日本だけでなく世界に多くのファンを持つ彼の作品は、多くの人に好かれる―その分、分かり易いともいえるわけです。これは長所でもあるし欠点にもなり得ます。ノーベル文学賞の選考委員の文学観においては欠点として映っているのではないか、毎年毎年下馬評に上りながらこれだけ長い間受賞できないでいるということは、ひょっとしたらそうなのかも知れません。
 書中にある回顧録によれば、彼は「ニューヨーカー」に掲載された最初の日本人作家だそうです。トルーマン・カポーティ、J.D.サリンジャー、ジョン・アップダイクなど多くの作家を輩出した「ニューヨーカー」はアメリカ屈指の文芸メディアです。文学者にとってステータスといってもいいでしょう。しかし私の感覚では「ニューヨーカー」の作家の作品は極めて『アメリカ的』に偏っています。例えばイギリス幻想文学とも中国現代文学ともフランス文学とも南アのクッツェーとも違うのです。
 村上春樹は優れた翻訳家でもあります。そして米国進出に当たってはエージェントの選定や翻訳家の決定に慎重に慎重を期しました。文学者には珍しい見事なマーケティングをしてアメリカ進出を果したのです。日本の出版社が日本人に受入れられやすい小説をプロデュースするようにアメリカのエージェントもアメリカ人好みの小説を書くように求めるでしょう。翻訳家はアメリカ語になじむ語彙を選択します。彼は優秀な翻訳家でもありますからもともと言葉選びと文体に英語的センスが含まれていると考えていいでしょう。村上春樹の作品が『アメリカ的』であっても当然な下地があるのです。
 ノーベル文学賞がどんな経過で決定されるかまったく知りません。しかし日本人の選考委員も幾人かはいるでしょう。多分日本で著名な文学関係者である彼らに人気がないとしたら村上春樹はノーベル文学賞を受賞できない。
 『象の消滅』を読んでそう感じたのです。
 
 それにしてもAmazonは凄い!
 古書一冊と体重計一個。わたしのAmazon購買履歴はたったこれだけです。それも去年の10月と今年早々のことです。その私への「おすすめ商品」としてAmazonが『マイケルK(岩波文庫)』をメールしてきたのです。昨年クッツエーの作品を3~4冊図書館で借りて読んで、その中で『マイケルK』は蔵書にしたいと思って今年最初に購入した本だったのです、うちの近くのなじみの書店で。買って、数日して、Amazonは私に「おすすめ」してきたのです。
 Amazonは凄い!ビッグデータとAIだとかIoTと世間では騒いでいますがAmazonはすでに相当なところまで来ています。
 空恐ろしい!そう実感した新年の出来事でした。
 

2017年1月23日月曜日

豊洲問題を考える一視点

 豊洲市場の地下水モニタリングの結果、環境基準の最大79倍となるベンゼンなどの有害物質が検出されたとして問題化している。ベンゼン(環境基準0.01mg/ℓ)35カ所 最大0.79mg/ℓヒ素(環境基準0.01mg/ℓ)20カ所 最大0.038mg/ℓシアン(環境基準不検出39カ所 最大1.2mg/ℓなどを検出した。移転の可能性に疑問符がつくのではないかと危惧されている。
 しかしこの問題はもっと多角的に検討されるべきであり、そもそもの東京都の「卸売市場問題」に対する意識そのものが問われるべきなのではないか。
 
 問題点の第一は卸売市場の取扱量が趨勢的に著しく減少していることだ。
 農水省「食糧需給表」「青果物卸売市場調査報告」等から集計した食品の卸売市場の取扱量は〈青果/平成元年82.7%→25年60.0%〉〈水産物元年74.6%→25年54.1%〉〈食肉元年23.5%→25年9.8%〉〈花卉元年83.0%→25年78.0%〉となっている。豊洲の取り扱いになる青果は4割が市場外取引に、水産物は約半分が市場外に流出している。この趨勢は今後とも拡大することが予想されるから卸市場問題は市場関係者の余程の革新的取り組みがなければ「ジリ貧」は必然的傾向と覚悟しなければならない。
 なぜこんな事態に至ったかは既にマスコミ等で論じられているように、大手総合スーパーとの直接取引や総合スーパーの自社農場生産の拡大が最も影響しているが、それ以外にも小売店との「産地直送」やインターネットによる消費者との直取引など流通チャネルの多様化はここ20年~30年の間に目ざましい進化を遂げた。こうした動向の底にある根本原因は「流通経費」の削減による「低価格志向」への対応が求められているところにある。
 
 もうひとつの問題点は農水産業の競争力の強化と生産者の利益率の向上―流通経路における生産者の取り分の拡大である。生産者の減少と高齢化は顕著で平成23年の農業就業人口の平均年齢は65.9歳で65歳以上の割合60.7%75歳以上31.7%となっておりこの状況は漁業でも同様であり、若い人が魅力を感じられるような産業に変貌しなければ益々高齢化するにちがいない。農業部門は自民党の小泉議員が中心になって「農協改革」を推進しようとしているがその根本は流通段階での生産者の取り分を拡大することにある。農水省の「食品流通段階別価格形成調査」によれば青果物の生産者受取分は45.1%であるが漁業生産者は僅かに28.9%に過ぎない。青果物の集出荷団体経費―主に農協が相当すると思われる―は16.5%になっており、卸・仲卸経費は13.7%を占めている。漁業の産地出荷業者・卸売経費は26.1%、卸・仲卸経費は11.6%である。適正値がどれほどかはにわかに定め難いが漁業生産者の28.9%は低すぎるのではないか。これでは後継者の育つ可能性は低い。
 かといって「卸機能」を短絡的に過小評価するのは生産・流通を総体的に考えた場合誤りで、生産性の高い流通機構を構築するというトータルデザインが必須なのだが「豊洲市場」はそうした観点から構想されているのだろうか。豊洲参加者が「ターレット(トラック)」を市場内の運搬器具と想定しての批判を展開していたが、ハコ物は最先端でも場内移送が旧態依然で果たして生産性向上が実現できるのだろうか。「中央市場の将来像」について都と市場参加者で共有できていたのか疑わしい。生産者に適正利潤を保障するためには卸・仲卸業者の生産性を高めながら業者数の淘汰を同時に達成するという困難な問題を解決する司令塔の役目を東京都が担わなければならないが東京都にそのような問題意識があるのか極めて疑わしい。
 施設の安全性確保と同時に卸売市場の生産性向上について都と業者の真摯な検討が不可欠であろう。
 
 ところで豊洲問題のすぐ先に2020年東京五輪・パラリンピックの食品提供問題がある。2012年のロンドン大会以降食材調達基準は「持続可能性」重視になっており、そのために農産物ではGAP(農業生産工程管理制度)の、水産物はMSC(英国の海洋管理協議会)などの認証取得が基本原則になっている。これは単に生産工程上の技術だけでなく環境(水質汚染、資源管理、海洋環境への配慮など)や就労者の人権を考えた生産物の提供が義務づけられており、すでに日本コカコーラでは緑茶生産者にJGAP(日本版GAP)認証取得を求めるており、国内小売大手も自社農場や野菜の調達先にJGAP取得を推進し、水産物にも調達基準を設定する動きが検討されている。農水産業の一部で外国人技能実習生が不当な扱いを受けていることがマスコミで問題として取り上げられたこともある我国の生産現場はこうした世界的な潮流を踏まえた体制を確立しているのだろうか。仄聞する限りにおいては到底そんな状態にあるように思えない。
 豊洲市場で取り扱われる食品はこうした条件をクリアしている必要がある。そういう意味からも卸売市場問題は非常に重層的先進的な問題であるにもかかわらず「施設の安全安心」という極めて初歩的な段階でつまずいている現状は嘆かわしい限りと言わねばなるまい。
 
 和食がユネスコ無形文化遺産に登録され日本食、日本文化が今後世界から益々注目を集めそうな状況にある。和食のグローバル化時代を迎えて「上質で安全・安心」な食材の供給はそのための必須条件であり、豊洲市場は中心的存在として単なる東京の中央市場でなく、日本の、そして世界の和食文化の「総本山」になるべき存在にある。そうした視線で現状をみるとき、5千億円いや六千億円を投じているから、といったような金銭的短期的基準で判断するのでなく、世界に冠たる「和食文化」を支える『東京ブランド』を供給する『世界の市場』として世界に認められる「東京市場」にならなければならない。
 豊洲ではそれは不可能である。
 
 五千億円にこだわって『未来の希望の市場』を手放すような愚かな選択をしないように、日本国民全体の問題として豊洲問題を考える必要がある。
 
 
 

2017年1月16日月曜日

短篇の魅力

 すぐれた文学者の短篇を読むと上質な章句が琴線に触れて快い。言葉の選び方に心配りが行き届いていてその組み合わせが精緻で研ぎ澄まされているからにちがいない。最近読んだ松浦寿輝の『BB/PP(講談社刊』は紛れもなくそんな一冊だった。それらのいくつかを繋ぎ合わせてこの短篇集のすばらしさを伝えてみたいと思う。
 
なぜこれらの顔は、自分を自分のうちに暗くけわしく鎖(とざ)しているか、そうでなければ神経質な演技ともつかぬ上ずったはしゃぎようを自他に誇示しているか、そのどちらかでしかないのだろうと男は訝った。〈『水杙』p177より。以下(水杙)と表示〉
それは社交的な気配りの仮面が剥がれ落ち、彼のうちに広がる放心状態が露わになったということなのか。しかし、そうしながらも終始、彼が心の中で実際に考えているのは自分の今現に発している言葉とは別の何かであるようにわたしには思われてならなかった。依然として彼は上の空のまま喋っているようだった。彼の魂も身体も「今ここ」には現存せず、永遠の「他処(よそ)」をさまよっているようだった。そのよそよそしい不在の徹底的な冷たさに、わたしはわけのわからぬまま魅了された。〈『ツユクサと射手座』p201より。以下(ツユクサ)と表示〉
頭を仰向けて丸天井を見上げると、天井も屋根もなくそこにただ星空が広がっているようだった。どうしようもなく、癒やされようもなく、わたしたちはさらされていた。地平線まで茫々としてわたしたち以外には人影一つない荒れ野に、よるべなく蹲っているような気がした。(ツユクサp203)
 ――「触れ合い」とか「寄り添い」という浮ついた「癒やし」が横行する「都市」という無機質な空間の中で、その茫々たる荒れ野で出合った「ひとりの存在」が『よすが』となる『偶然』を悦(よろこ)ぶ。
 
しかし、結局ぼくは薄暗がりの中を手摺り伝いに生きてきたし、これからもそうやって生きてゆくんだろうな、と最後に彼は自分自身に言い聞かせるように呟いていたものだ。手摺りを伝いながら。手摺りから手摺りへと伝いながら。少しずつ少しずつ…。いくぶん途方に暮れたようにそう呟いていたものだ。いつかそのうち、手摺りの尽きるところへ出るんだろうか。〈『手摺りを伝って』p101より。以下(手摺り)と表示〉
この世の生は何もかも無意味だという思いがつのるほどに、空気はますます甘く哀しくやるせない。陽光の粒子がひと粒ひと粒輝いているようなその空気にゆるゆると溶け入って、子どもに戻り、胎児に戻り、ひと組の精子と卵子の結合体に戻り、最後にはふっと消えてなくなってしまいたい。たとえ自分が消えてなくなっても、ひょっとしたらこの輝きだけは消えないのでは、といったわけのわからぬ妄念も、取り憑いて離れない。そこまで行き着いてもなお輝きつづけているものとは、あるいは無意味という名の、この観念それ自体なのか。(水杙p173)
そう言えば、say to oneselfという英語の言い回しがあった。言葉を自分自身に向かって発する。あのoneselfというのはいったい誰のことなのか。それは自分自身からいちばん遠い他人のことにほかなるまい。が、だとしたら、言葉を発する側の俺自身だって、他人そのものでないと誰に言える。結局俺自身というものはないのだと男は思い、仄温かな気持ちになって俯いた。(水杙p182)
 ――手摺りを伝いながら覚束ない足取りでこれまで歩んできた。自己の確立と理性と感覚の練磨で文学を追及してきた作者が、手摺り―それは多分『言葉』であったろうが―から自由になったとき、懼れていた『無意味』は『奈落』ではなく『老熟』という『果実』であったのだろうか。
 
人生の或る一日、どうでもいいような、つまらぬ一日の、ほんの小さな体験…鐘楼の塔に入って、手摺りを伝いながららせん階段を天辺まで上り昇りつめるというほんの二十秒ほどの時間に、どれほど圧倒的に豊かなものが詰まっているものか。それがわかった。(手摺りp91)
意識と無意識の間の波打ち際とでもいうのかね、狙い澄ましてそういう場所へ自分を持ってゆく。変な言いかたになるが、意識を集中して、意識レベルをきわめて低い状態を作り出すとでもいうのか。ちょっとしたコツが要るんだよ。しかしぼくはその技術にだんだん熟達していった。そういうレベルに意識を保持することができたら、さあその後は何でもいい、何かささやかな思い出の断片を呼び出してくる。そして、それを徹底的に微分する。微分にかける。(手摺りp92)
時間はもはや、使うものではなく潰すものだった。今ここに在ることに倦怠するなどというのは、まだまだ時間が潰すものではなく使うものなのだという羨むべき境涯にある人間の贅沢にすぎない。(水杙p175)
もう雑踏も消え繁華街の賑わいも消え、そこはすでにゆるやかに下る薄の原で、自由と無意味が形を取るとしたらこんなふうでしかありえない、そんな風景が広がっている。何でも起るのだと男は思った。(水杙p179)
空気の中に溶けてゆくか、土の中で腐ってゆくか、そんな思いに取り憑かれていたのだった。しかし、結局、そんな二者択一は、見せかけだけの虚構にすぎなかったのだ。(水杙p181)
 ――1954年生れの作者が50歳後半から60歳になってある種の『諦念』を抱いたときに、崩壊感の底からこれまで眼の前を遮っていたものが解(ほど)かれて一挙に視界が広がっていくような経験をしたにちがいない。「言葉紡ぎ」に呻吟してきた詩人でもある作者が、何をあんなに苦しんできたのだろうかと『解放』された「時」であったかもしれない。「老い」が『老熟』に昇華したのだろう。
 
 文学好きだったがこの十五六年、限られた作家の作品以外から遠ざかっていた。それが昨年、堰を切ったように多くの作品に接した。ジャンルも幅広かった。そして改めて「文学の豊穣さ」を認識した。世界にはまだまだ経験したことのない「多様な」文学が存在している。しかしそれらを受容するには技術と鍛錬が求められ、ある種の「老生」も必要かも知れない。読まなければならない、ではなく、読みたいものを読む。時間に急かれることがないから避けてきた「大部」なものや「難解」なものにも挑戦できる。
 『老年』こそ文学をほんとうに楽しめる時季だ。
 
 

2017年1月9日月曜日

老の春

 生くること やうやく楽し 老の春 (富安風生)―― 新年おめでとうございます。
 
 昨年十二月に後期高齢者になって、飯が旨くて、本が読めて、駄文を書いて……、ようやく生活のペースができてきたように感じている。三年前、七十二歳で仕事をすっかり辞めて「純」年金生活に入って毎日をどう過ごしていいか戸惑うかと思っていたが翌日も昨日と変わらず生活していた。六十代後半から仕事と私生活を半々にして、というより責任の軽い仕事になったせいで私生活の方が楽しくなっていったので「後期…」に向けての準備が整ってスンナリと移行できたのだろう。煙草を止めて、テニスを始め体力がつき健康が定着したことが大きかった。そのせいもあって昨年末風邪気味になったが、今までなら完全にダウンしていたものが発熱もなく首と耳に断続的な痛みが二三日つづいただけで事なきを得た、体力が人並みになったお陰であろう。毎年冬になると、足指が冷たくなって痺れが辛かったのだが、ネットで「足裏マッサージ」を知って毎朝五分ほど実行したらずっと軽症で済んでいる。医者・薬頼りにならず「自然治癒力」を活用することの大切さを痛感した去年(こぞ)であった。
 
 ところでここ数年、違和感を感じていることがある。というよりも「怒り」さえ感じている。それは新聞やマスコミで年寄り(以下高齢者などと言わないでおく)が取り上げられるとき、決まって「消費者」としてなのが我慢ならない。いわく、1700兆円の個人金融資産の60%以上を持っている高齢者の消費をどう活性化するかが景気上昇の…、とか、高齢者の生前贈与の方策として「ジュニアNISA」制度を設ける、とか。
 こんなこともあった。日本創成会議という総務省の出先機関のようなシンクタンクが「地方消滅――896の地方自治体が消滅?」などというショッキングな提言を出した。もと総務大臣の増田寛也氏の主宰するシンクタンクの提言は地方自治体の財政事情を勘案して大都市の年寄りは地方の介護施設へ移住すべきだ、などという『暴言』さえ提案していた。「金の卵」とはやされて高度成長時代を生き抜き、バブル崩壊にも耐えて退職金でようやくローンを払い終えた「郊外の戸建」を、人口減に伴う公共サービス効率化を図る都心回帰の「スマートシティ」を造るために売却せよ、という世論でさえショックだったのに、財政事情のために地方移住をシレっと提言されるとは、年寄りの気持ちを踏みにじるにもほどがある!とは感じないのだろうか。
 
 しかしこうした傾向はなにも年寄りに限ったことではない。「ビッグデータとAI」や「IoT」で生産や生活に革命が起ると騒がれているが、これも人間をセグメンテーション――「消費者―顧客」と捉えて『細分化』して商品生産を活発化しイノベーションを引き起こそうという考え方に他ならない。しかし、もうそろそろ、「便利と幸福」の勘違いに気づくべきではなかろうか。
 今あるテレビも冷蔵庫もパソコンも昔は無かった。自家用車が各家庭にあるなど想像だにしなかった。最も驚くべきは「スマホ」だろう。こんな小型の電子計算機がこんなに安くみんなが持つようになろうとは夢物語そのものだ。ここまで短期間で、こんなに『便利』になって本当に有り難いと思う。でも、幸せになったと心から感じている人がどれほど居るだろうか。
 昔、親父一人が働いて妻と子どもを養っていた。お祖父ちゃん、おばあちゃんの三世代同居という『家庭』も珍しくなかった。今はどうだろう?夫婦共働きでも「豊かな生活」を営んでいる『家族』はそんなに多くないのではないだろうか?
 我々が求めていたのは『幸福』ではなかったのか。
 
 我々は「自由と平等」と当然のように口にするが、このふたつはそんなに簡単に「並び立つ」ものなのだろうか。昨年の一連の世界動向はこんな素朴な疑問を我々に突きつけた。トランプ氏の大統領当選は「異常な格差」を放置した「見捨てられた―レフト・ビハインド」された人々の『叛乱』だったという見方が多いが、それは「自由」を放任し「平等」が蔑ろにされた結果に他ならない。民主主義は「自由と平等」を両輪とし「選挙」を主たる維持装置とした制度であるけれどもヒトラーも「選挙」の洗礼を受けて誕生している。戦後70年を経て「政党」も「言論機関」も『大転換』しなければ『民主主義』を牽引する能力を維持できなくなっていることを『痛感』しなければ「21世紀」を先導することができないことは明らかだ。
 
 21世紀、グローバル化はもはや押し止めることはできないであろうが「国民国家」との『折り合い』をどうつけるか?今年は真剣に考えなければならないだろう。企業も資本も国家の枠を跳び越えて活動している。その結果、賃金の安い国を求めて生産拠点を移動させる「資本の論理」が国内の単純労働を奪い取って国外に流出させてしまった煽りで「格差拡大」が引き起こされた。先進国の市民が不満を持つのは当然であるが、一方、『地球大』で見た場合、世界の「最貧困層…一日1.25ドル以下で生活する」の人々の数は、1990年の世界人口の36%から2010年には18%にまで減少している。それでもアフリカの国々では貧困率が他より圧倒的に高く、コンゴ人口の88%、リベリアの84%、ブルンジの81%が貧困層に属している
 21世紀は中国とインドの世紀といわれているが「豊かさの指標」を年収二万ドル以上にこだわる限りこの両国がそのレベルに達するためには地球があと5、6個以上必要になることを考え合わせても、先進国は「豊かさ」への『拘り』を捨てて、新しい「幸せ」の指標を打ち立てるべきだろう。
 
 年頭に当たって明るい話題もいくつか。
 CNF(セルロースナノファイバー)、古着から航空燃料、ビッグデータとAI、深部感覚(固有受容感覚)という新技術がそれである。CNFは木の繊維をナノレベルまで粉砕して再構成した最先端のバイオマス素材である。強度が炭素繊維の5倍の「夢の素材」といわれている。5年後には実用化できそうで主導権を日本が握っているそうだから期待できる。「古着から航空燃料」は日本航空リサイクル企業と組み、世界初となる古着を原料とした航空機燃料製造しようとする試みである。イオンなど小売り12社の回収網を使って古着を集め衣料に含まれる綿から微生物を使って燃料を作る。2020年の試験運航を目指しているが、化石燃料の代替となる燃料として期待されているビッグダータとAIはマスコミで言い尽くされているから詳細は省くが、私の関心はこれによって、「良い大学を出た頭の良い」人たちの仕事が人工知能に奪われて「大学改革」が有無を言わさず行われるだろうという点にある。今のままの学校制度では我国の「人材劣化」は避けようがない。最後の「深部感覚」は人間の生活機能回復に有効性をもっている。人間の部位と頭脳の関係はこれまで「頭脳が司令塔」と考えられてきたが、どうもそうではないようで、相互依存関係かあるいは部位優位である可能性も認められつつあり、その肝のひとつが「深部感覚」なのだ。すでにリハビリの一部で活用されており更なる進化を期待したい。
 
 最後に。ここ一世紀近く我々は「死」を遠ざけてきたが、そして生きることに執着してきたが、長寿社会のこれからは「死をいかに受け容れるか」を真面目に考えよう、と提案したい。オプジーボ問題がきっかけで医療費のあり方が問われているが「医療費の削減」ばかりで、生きること、死ぬことを真剣に考える視点がどこにもない。経済問題ではなく、幸せに生きることを見据えた視点で、この問題が問われるようになれば我国は一変するように思うのだが、いかがだろうか。