2017年1月16日月曜日

短篇の魅力

 すぐれた文学者の短篇を読むと上質な章句が琴線に触れて快い。言葉の選び方に心配りが行き届いていてその組み合わせが精緻で研ぎ澄まされているからにちがいない。最近読んだ松浦寿輝の『BB/PP(講談社刊』は紛れもなくそんな一冊だった。それらのいくつかを繋ぎ合わせてこの短篇集のすばらしさを伝えてみたいと思う。
 
なぜこれらの顔は、自分を自分のうちに暗くけわしく鎖(とざ)しているか、そうでなければ神経質な演技ともつかぬ上ずったはしゃぎようを自他に誇示しているか、そのどちらかでしかないのだろうと男は訝った。〈『水杙』p177より。以下(水杙)と表示〉
それは社交的な気配りの仮面が剥がれ落ち、彼のうちに広がる放心状態が露わになったということなのか。しかし、そうしながらも終始、彼が心の中で実際に考えているのは自分の今現に発している言葉とは別の何かであるようにわたしには思われてならなかった。依然として彼は上の空のまま喋っているようだった。彼の魂も身体も「今ここ」には現存せず、永遠の「他処(よそ)」をさまよっているようだった。そのよそよそしい不在の徹底的な冷たさに、わたしはわけのわからぬまま魅了された。〈『ツユクサと射手座』p201より。以下(ツユクサ)と表示〉
頭を仰向けて丸天井を見上げると、天井も屋根もなくそこにただ星空が広がっているようだった。どうしようもなく、癒やされようもなく、わたしたちはさらされていた。地平線まで茫々としてわたしたち以外には人影一つない荒れ野に、よるべなく蹲っているような気がした。(ツユクサp203)
 ――「触れ合い」とか「寄り添い」という浮ついた「癒やし」が横行する「都市」という無機質な空間の中で、その茫々たる荒れ野で出合った「ひとりの存在」が『よすが』となる『偶然』を悦(よろこ)ぶ。
 
しかし、結局ぼくは薄暗がりの中を手摺り伝いに生きてきたし、これからもそうやって生きてゆくんだろうな、と最後に彼は自分自身に言い聞かせるように呟いていたものだ。手摺りを伝いながら。手摺りから手摺りへと伝いながら。少しずつ少しずつ…。いくぶん途方に暮れたようにそう呟いていたものだ。いつかそのうち、手摺りの尽きるところへ出るんだろうか。〈『手摺りを伝って』p101より。以下(手摺り)と表示〉
この世の生は何もかも無意味だという思いがつのるほどに、空気はますます甘く哀しくやるせない。陽光の粒子がひと粒ひと粒輝いているようなその空気にゆるゆると溶け入って、子どもに戻り、胎児に戻り、ひと組の精子と卵子の結合体に戻り、最後にはふっと消えてなくなってしまいたい。たとえ自分が消えてなくなっても、ひょっとしたらこの輝きだけは消えないのでは、といったわけのわからぬ妄念も、取り憑いて離れない。そこまで行き着いてもなお輝きつづけているものとは、あるいは無意味という名の、この観念それ自体なのか。(水杙p173)
そう言えば、say to oneselfという英語の言い回しがあった。言葉を自分自身に向かって発する。あのoneselfというのはいったい誰のことなのか。それは自分自身からいちばん遠い他人のことにほかなるまい。が、だとしたら、言葉を発する側の俺自身だって、他人そのものでないと誰に言える。結局俺自身というものはないのだと男は思い、仄温かな気持ちになって俯いた。(水杙p182)
 ――手摺りを伝いながら覚束ない足取りでこれまで歩んできた。自己の確立と理性と感覚の練磨で文学を追及してきた作者が、手摺り―それは多分『言葉』であったろうが―から自由になったとき、懼れていた『無意味』は『奈落』ではなく『老熟』という『果実』であったのだろうか。
 
人生の或る一日、どうでもいいような、つまらぬ一日の、ほんの小さな体験…鐘楼の塔に入って、手摺りを伝いながららせん階段を天辺まで上り昇りつめるというほんの二十秒ほどの時間に、どれほど圧倒的に豊かなものが詰まっているものか。それがわかった。(手摺りp91)
意識と無意識の間の波打ち際とでもいうのかね、狙い澄ましてそういう場所へ自分を持ってゆく。変な言いかたになるが、意識を集中して、意識レベルをきわめて低い状態を作り出すとでもいうのか。ちょっとしたコツが要るんだよ。しかしぼくはその技術にだんだん熟達していった。そういうレベルに意識を保持することができたら、さあその後は何でもいい、何かささやかな思い出の断片を呼び出してくる。そして、それを徹底的に微分する。微分にかける。(手摺りp92)
時間はもはや、使うものではなく潰すものだった。今ここに在ることに倦怠するなどというのは、まだまだ時間が潰すものではなく使うものなのだという羨むべき境涯にある人間の贅沢にすぎない。(水杙p175)
もう雑踏も消え繁華街の賑わいも消え、そこはすでにゆるやかに下る薄の原で、自由と無意味が形を取るとしたらこんなふうでしかありえない、そんな風景が広がっている。何でも起るのだと男は思った。(水杙p179)
空気の中に溶けてゆくか、土の中で腐ってゆくか、そんな思いに取り憑かれていたのだった。しかし、結局、そんな二者択一は、見せかけだけの虚構にすぎなかったのだ。(水杙p181)
 ――1954年生れの作者が50歳後半から60歳になってある種の『諦念』を抱いたときに、崩壊感の底からこれまで眼の前を遮っていたものが解(ほど)かれて一挙に視界が広がっていくような経験をしたにちがいない。「言葉紡ぎ」に呻吟してきた詩人でもある作者が、何をあんなに苦しんできたのだろうかと『解放』された「時」であったかもしれない。「老い」が『老熟』に昇華したのだろう。
 
 文学好きだったがこの十五六年、限られた作家の作品以外から遠ざかっていた。それが昨年、堰を切ったように多くの作品に接した。ジャンルも幅広かった。そして改めて「文学の豊穣さ」を認識した。世界にはまだまだ経験したことのない「多様な」文学が存在している。しかしそれらを受容するには技術と鍛錬が求められ、ある種の「老生」も必要かも知れない。読まなければならない、ではなく、読みたいものを読む。時間に急かれることがないから避けてきた「大部」なものや「難解」なものにも挑戦できる。
 『老年』こそ文学をほんとうに楽しめる時季だ。
 
 

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